履修問題については,補習時間に上限を設ける「救済策」を文科省が決めたようだ.

その際,公平性に配慮したという.

どんな公平性かなと聞いてみると,

補習時間が少なすぎると,まじめに指導要領を守った高校の生徒が損をするということらしい.

また,この「救済措置」に対して,

「未履修の生徒は特定科目だけを勉強して受験に有利だ」

「すべての科目をまじめに受けてきた我々はどうなるのだ」

という履修済み側の高校生の不満も報道されていた.

文科省にしても,この高校生にしても,報道する側の論調にしても,

何かおかしいのではないだろうか?

いずれも,履修科目数が少ないことを“得だ”としての発言なのである.

いろいろな科目を履修できなくて残念だったという問題であるはずなのに・・・.

社会の知識をもたない理系人間,

理数科目をやってきていない文系人間が

社会に出ていかに肩身の狭い思いをするかを

未履修の生徒はいずれ思い知ることになるであろう.

そうさせないためのせめてもの救済措置

という発想でなければならないはずなのだが.

そういう発想がないからそもそもこうした問題が起こったのだし,

閣僚なり,文科省の役人なりがこの程度のレベルだから,

日本の若者に本物の学力をつけさせることができないのである.