ある生徒に

今騒がれている金融危機というのは

どういうことなのでしょうか?

と質問された。

次の日別の生徒が同じ質問をしてきた。

翌日、授業の終わりがけに、別の生徒が

「授業の質問ではないのですが、・・・」

と断って、また同じ質問をしてきた。

いずれも受験科目とは関係ないが気になって仕方がないとのことであった。

新聞を読んでも分かりにくい。

こちらの説明を目を輝かせて聞いているのが見ていてうれしい。

受験に関係あろうがなかろうが、

知的好奇心旺盛な姿が健全でうれしいのだ。

先日、ウォール街で働いていた人の

「世界中からものすごく頭のいい人たちが集まって仕事をしている」という談話が新聞に載っていた。

このブログでも何度も取り上げてきた

「頭がよい」とは何だろうか?

というテーマを考えるのにまたよい材料が与えられた気がする。

世界金融の最先端を行く中心地ウォール街のエリートたちは

確かに頭がよいのであろう。

コンピュータと高等数学を駆使し、

さまざまな金融商品を作り出して荒稼ぎをする。

しかし、それが一面の頭のよさでしかないことは

ノーベル経済学賞受賞者をかき集めて

ハイリターンを目指しながら98年に倒産した投資会社

LTCMがすでに実証済みで、

今回のリーマンブラザーズの破綻を待つまでもない。

私が一番問題だと思うのは

こうした「エリート」たちに文化的ゆとり

いうなれば文化の香りが感じられないという点である。

果たして彼らは

ゆっくり文学の古典を耽読し、

あるいは哲学の歴史に触れ、

人間とは何ぞやと深く思い悩む青春時代を持ったのであろうか?

「アメリカには哲学(者)が存在しない」といわれることは

心にとめておくべきだろう。

戦後アメリカを模範とし、

教育の世界でも

数学とコンピューターと会話語学が得意であることが

何か「頭がよい」ことであるような錯覚が蔓延している今日、

しっかりした文化力を身につける場・機会を

若者たちにつくってやることが

大人たちの務めであると思うのだが、いかがであろうか。