今日東京新聞に

ある書評が載っていた。

人間の才能をテーマにしたその本の著者が導き出した結論は

一流の人間が発揮した非凡は

すべて訓練によるものであったというものであるそうだ。

天才の代名詞といってよいモーツアルトにしてさえ

6歳までにのべ3千数百時間のレッスンを受けているという。

私はその本を読んでいないし、

科学的な根拠がどうであるは知らないが、

そういう考え方には賛成である。

何しろ私自身がこのHPで同じ考えを

GHSの理念として

前面に打ち出しているのであるから。

もと卓球の一流選手でもあったというこの著者は

その訓練の目安を一万時間としているそうである。

百時間や千時間でないところがよい。

そうであれば非凡の非凡たる希少価値が出ない。

1万時間をやれる人間とやれない人間に分かれる決め手に

ひとつは志があるのだと思う。

一流へのあこがれの強さがあるのだと思う。

あるいは人生への危機感があるのだと思う。

しかし、確かに芸術やスポーツは1万時間を必要としようが

幸い、受験勉強はそれほどの時間は必要としないであろう。

何時間とは明言し得ないが、

またスタート時点の個別性に左右されるだろうが、

半分以下で充分ではあるまいか。

ただし、正しいやり方をしての話であるが。

ともあれ、とてもうれしくなる書評記事であった。

若者にとって大いなる希望ではないか!

私も時間ができたら一度この書を読んで見ることにしよう。