我々は自分の先行きを考える時

過去の実例に興味を抱く。

受験生であれば

自分のような成績の先輩が

どういう進学実績となったのかに興味がある。

これは心情としても理屈としても

うなずけることである。

あとに続く者は先例に学ぶべきものが多々あり

その実績を糧として自らの実績を積み上げてきたのは事実である。

しかし、大事な点は

二重の意味で

先例は自分を縛るものではないということである。

ひとつは後の者がおかれる条件は

先例と全く同じ条件であることはないということからくる。

受験の“技術”は年々向上しているのであり

後に来る者が恵まれた条件を享受できるというのは

歴史の常である。

したがって

過去の限界を将来にわたっての限界と考える愚かな遊戯

いわゆる“ジンクス”なるものに呪縛されてはならない。

新たな世代は過去を越えることができるのである。

先例とは越えるべき対象なのだというのが二つ目の意味である。

それこそが本当のジンクスである。

越えられないことが“ジンクス”なのではない。

先例を見て自分はダメだと思うほど愚かなことはない。

いわゆる“ジンクス”は越えるためにあるのである。

私は宅浪をしたのであるが

進学指導のベテランの先生に

やめるよう猛烈に説得された。

「宅浪で東大に入ったやつはいない」と。

ならば、自分がその第一号になろうと思った。

できるのである。若者は。

過去の先例は超えるためにある。

越えようとするのが若者の特権である。

何も臆することはない。

自分が歴史を切り開けばよいのである。

切り開く武器は

自らが歴史を切り開こうとする気構えであり、志である。