震災後次々と明らかになっているいろいろな問題が

この国の根本を考える契機になっているように思う。

今ふきだしている問題が

これまでのそのときどきの個別性に由来する問題とは異なって

国家、国民が今まで浸かりきっていた本質的問題をあぶりだしていることを

みんなが意識しているからである。

この国は危ないのではないか、

この国民はこんなにレベルが低かったのかとの現実が

世界から賞賛された被災者の健気なそしてヒューマンな道徳性と好対照に映し出される

企業と政治の指導者層のあまりにもの悲しい人間的皮相さに

見事というほどに浮き彫りにされているからである。

原子力を推進することの是非自体は

いろいろな国家的事情があるだろうからさておき、

ならばその推進を最高の国家的エリートが行っているにもかかわらず、

安全に対する批判に対して聞く耳を持たず

過去の地震の歴史に学ぶことさえできず

真実から乖離して目的が一人歩きしていくことに疑問を抱かず、

高額な報酬に群がるといった

あまりに情けなくお粗末なこの国のエリートの姿に

この国の危うさを感じている国民が多いはずなのである。

本来、賢明な国民であるはずの日本人が

なぜかくも醜態を世界にさらし、失笑を買う現実に直面しているのであろうか。

今この国が問うべきはそのことであろう。

この国の人間作りがどこかで間違いを犯したはずなのである。

そこを真正面から問題視し、問題の根本を抉り出すことが

これだけの犠牲を出している、

いまだに出し続けていることに対する

必須の対応であろう。