人間は、友人など周りの力に助けられること、大なるものがある。

おそらく一人であったら途中で挫折してしまうかもしれないものが

友人のおかげでモチベーションを保ち続けられるものだ。

GHSは毎年新しいメンバー構成になる。

はじめは互いに遠慮し、よそよそしく、気まずくもある雰囲気の中で

だんだんに若者同士、気の合う集団力が形成されてくる。

まるで同じ高校の出身者同士であるかのように、

もしかすると

幼馴染では?と思えるほどに仲睦まじく

分からないところを教えあい、

点数を競い合い、

遠慮なく勝ちを誇り、ダメ出しをし、

あとくされがなく、そのコミュニケーション自体を楽しんでいる。

この健全な幼さは

精神の健康を保障するものである。

最近は全科目個別指導を求める受験生も増えている。

かつての予備校はマスプロ=大人数であり、

それがだんだんと少人数が好まれ

今や個別指導に向かっていくのは

蓋し自然の流れかもしれない。

しかし個別の決定的な違いは

友人間のコミュニケーションのバックアップがないことである。

人間はデリケートな生き物であるから

勉強だけできればよいというものではない。

いつでもすぐに心が乱れ、神経がぐらつき

神経症になるものである。

親や指導者はともすると

勉強の中身にのみ意識が行きがちであるが、

若者としての当たり前のコミュニケーション環境のうえに

受験勉強があることを忘れてはなるまい。

時折りやってくる心に傷を負った受験生に出会うだに

周りの大人の無責任を

残念にも、腹立たしくも思うことである。