10月21日付日経記事に

なかなか良い意見が載っていた。

一つは京都大学の山極寿一学長のインタビュー記事で、

大学生は考える力をこそつけるべきで、

そのためには日本語でしっかり考えることが肝心だ。

英会話の習得が大学4年間の目標では意味がない

と喝破している。

同じく28日付の「大機小機」でも

イギリスの雑誌が発表する「大学ランキング」の無意味さを指摘し、

逆に

深い思考を可能とする日本語のすごさと大切さを説いている。

私が『医大受験』誌のコラム「羅針盤」で

一貫して書いてきたことと相通じる内容で感心したことである。

こうした意見が少数意見にとどまらず、

日本全体の、

さしあたって

日本のアカデミズムの中心意見になるだけの勢いに成長してほしいものである。

英語にすり寄って良しとしている現代の大学関係者は

上の卓見自体をさえ理解できないほどの

「考える力」の不足という悪循環に陥ってしまうことが心配である。