先日の「日本経済新聞」に良い寄稿記事が載っていた。
寄稿者は現在アメリカのがんセンターで研究員をしているとのこと。
海外の研究者たちと議論するほどに
論理的な思考力や洞察力、豊かな想像力は
母国語でこそ培われるものであり、
拙速な英語教育を推進する前に、日本語の基礎教育こそ充実させるべきである、
との内容であった。
大賛成である。
人間は思考力を持って生まれてくるわけではなく、
生まれた後に養成していくほかない。
それは言語の学習を通じてであり、
思考の深まりは、言語概念の深まりと直接に、である。
つまり、何か一つの言語を徹底することなしには
思考力やまた感性も深まらないのである。
したがって、寄稿者も述べているように
英語をやって悪いということはないが
それが、母国語教育をなおざりにしてであれば
本末転倒である。
しかし、現在の大学入試の傾向を見れば、
その本末転倒が現実となっている。
国語の問題が軽視され、
英語の配点と分量がやたら増えているという事実がある。
しかも、問うてくる内容はどうでもよい会話文であったり
知っている単語の量が多いほど点数がよくなる程度の問題である。
某国立大学では学長が入学式の祝辞を英語でおこなったという
呆れた現象も起こってきている。
日本の教育を決める大学の教授たちがこういう見識であれば
彼らを有識者として諮問をした文科省が
「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」を策定して
小学5,6年生に週35時間の英語教育を行うという恐ろしい政策が出てくるのも
自然な流れである。
どういう日本人が再生産されていくことになるのか、心配でならない。
寄稿者のようなまともな意見が多くの賛同者を得てほしいものである。