東京・新宿の少人数制予備校-医学部や東大・京大等の最難関大合格実績多数

大知 正直さん

大知 正直さん

村田代表からのコメント

GHSでは一年間で奇跡的な成果を上げる生徒がたくさん出ますが、大知正直君はその代表格と言ってよいでしょう。彼は、中学受験、高校受験ともに不本意な結果に終わり、内部進学ができる大学付属の高校に入学した時点で、ほとほと勉強がいやになったそうで、高校時代は一切勉強すまいと堅く心に決めたとのことです。途中、あまりにも勉強しないので父親にしかられ、しまいにはなぐられてもそれでも頑として勉強を拒否し続けたという逸話の持ち主です。さりとて、勉強以外にこれといって何をするでもなく、一応、剣道部には所属していたものの、高校時代はただだらだらと時を過ごす生活だったようで、本人自身自嘲気味に「最低の生活だった」と述べています。

 立教高校から立教大学に内部進学ができるとはいっても、全員が無条件で内部進学できるのではなく、ごく一部の成績不良者は落とされます。当然の報いというべきでしょうか、大知君もその一人になってしまいました。高2から高3に上がる春にそれが宣告されるそうですが、内部進学ができなくなった生徒は高3時は他と別クラスになり、卒業後は就職または専門学校にいくものが多く、中には退学していく人もいるとのことです。

大知君は高3の夏に大手予備校の物理の講座を受講してみたようですが、何をやっているのか皆目分からなかったということです。結局、高3時も勉強する気力も生まれないまま過ぎ去り、とりあえず受けたセンター試験が440点(/800,55%)で、唯一受験した東海大学も落ちました。 

 そうした経緯があって、彼はかなりの危機感をもってGHSを訪ねて来ました。彼から事情を聴いた私は、早速2月から学習指導をはじめていきました。結論から先に言えば、一年後、前年より全国平均が50点下がったセンター試験で688点(86%)を取り、見事な入試結果を出しています。おそらく、東大を受けても良かっただろうと恩います。受ける大学の選択はあくまで本人次第ですから、これでよいと思いますが。結果のみ語ることは簡単ですが、これほどの成果を出すための過程がいかに大変な作業であったかということについては、言葉では表し得ないことだと思います。 

 ともあれ、本人の意欲と、正しい方法論が結び付いたときいかなる成果を生むかという典型例を彼は示してくれています。後に続く受験生のための希望の羅針盤としてここに紹介する所以です。 

大知 正直さんの合格体験記

GHSとの出会い

大学受験をしなくてすむ大学付属高校に進学した私は、高校時代一切の勉強を拒否し、ただなんとなくだらだらと日々を送る最低の生活を続けていました。3年に進級する時、あまりに成績が悪くて、担任の先生から大学への内部進学ができなくなったと言われたときは、ただぼう然とするばかりでした。かといって、高3の一年間は、なにくそっ!と勉強をするでもなく、専門学狡のパンフを眺めたりしているうちにあっと言う問に過ぎていきました。とりあえず受けたセンター試験が440点でした。とりあえず受験した東海大学にも落ちました

絶望的な思いを抱えて2月にGHSを訪ねたのです。そこで村田塾長としばらく話をした後、先生は私が理系志望なのを確認すると「一年勉強すれば、医学部以外ならどこでも受かる」(塾長注:誤解しないでいただきたいのは、GHSでは一年で医学部に合格しないということではありません。大知君の現状を鑑みるとということです。と断言されました。中・高と何度も受験に失敗した過去を持ち、そのうえ高校時代全く勉強していない私に、そんな可能性があるとは思えなかったのですが(特に、高校の教学と物理が一年でものになるとはとても思えませんでしたから)、自分に可能性がある、と言われたことがかなりうれしかったのを今でも覚えています。

GHSで学んだこと

4月開講のところを早速2月から指導を始めていただきました。浪人の一年間は長かったとも、あっと言う間だったとも言えます。ただ、この一年に私に起こったことは‘奇跡’そのものであり、私の人生が大きく変わったことだけは確かです。高校時代の担任の先生が、私の入試結果にどれほど驚いたことか…!!! おそらく、皆さんの想像をはるかに超えています。

私がGHSでどういう指導を受け、どういう学習をしたかについては、ここで語り切れるものではないし、塾長に聞いてくだされぱよいと思います。私が皆さんに話すべきことは、この一年、私がGHSで学んで何より影響が大きかったのは、先生方の学ぶことに対する姿勢や態度に触れることができたことです。私自身、浪人の間に学ぶべきことは、自分のことは自分で決断し、自分で思考するカであると思っていました。私の勝手な思い込みがもしれませんが、塾長その他の諸先生方が教えようとしていたこともまさにそのことであるし、その中身をGHSで学ぶことができたと思っています。そういうことにこそ、私は今本当の感動を覚えています。

入塾を考えている方へのメッセージ

絶望し、苦しんでいた一年前、そして、希望に包まれた一年後。このドラマチックとしかいいようがない上昇の感激、大きな希望に包まれた気分を、さらに多くの人に味わってほしいと思います。

私よりひどい状態から出発する人はきっといないと思います。皆さんなら、塾長のおっしゃるように「どこにでも入れる」可能性があります。どうか、希望を持って頑張ってください。GHSはとても小さな予備校です。それだけに、いつも先生方と接していられるし、そこで勉強はもとより、本質的な大きな中身を学べます。私も、休暇で大阪から東京に戻るとすぐGHSに足が向きます。皆さんとGHSでお会いできることを楽しみにしています。 

再び、村田代表からのコメント

大知君について語ろうとすると、紙数が何枚あっても足りない気がします。GHSでは昼間部の一年間で先生や親がびっくりするような伸びを示す生徒はたくさん出ますが、大知君はそのなかでも、やはり「別格」だからです。
 
 1つには、センター試験で440点から688点(いずれも800点満点)へと248点伸びたという、いまだに破られていない、おそらくは今後も破られることのないレコードホルダーだからです。しかもこのときは、センター試験の平均点が前年に比べ50点ほど難化していたのです。 もっとも、こうした記録ははじめが余程ひどくないと出せない記録ですから、出発点の低さから到達点までの‘高低差’というか‘上昇度’もまた、大知君は破格なのです。 付属高校からの内部進学の道が断たれ、現役で東海大学を不合格となりながら、一年後、国立の旧帝大である大阪大学(そのまえに、慶大の理工学部と環境情報学部も難無く合格しています)に入学しています。 私自身としては、東大を受けていたら面白かったと思うのですが、受験大学を決めたのは本人ですから。

 この一年間に何があったかをここで語ることは到底無理です。結果をお見せすることしかできません。それで判断してもらうしかありません。ただ、人間は、特に若者はたった一年でこれほど変わることができるのだ(もちろんセンター試験の点数や合否を言っているのではありません。その奥にある本質的な発展です)ということ、そのことを実証して見せたことが彼の最大の功績だと思います。いつもGHS生に彼の話をして聞かせる所以です。 大知君の文章の中に、彼がはじめてGHSを訪ねてきたとき、私が「一年あれば医学部以外ならどんな大学でも通る」と告げたと書いてありますが、これは誰にでも当てはまることではありませんので誤解しないで下さい。彼が高校受験をしっかりくぐっているということ、このままでは自分がダメになるという危機感と本気でやろうとする意欲とがはっきり伝わってきたこと、何よりも本質的なものをつかみたいという真っ当な志向性をもっていたことなど、諸々のことを判断して大知君に向けられた言葉だということをご理解下さい。

理科主任からのコメント「偏差値ナシ男の由来と、リベンジの結末」by天野 光信

 大知君(達)とは、物理と化学の双方で、ずいぶん濃密な時間を過ごしたものです。その縁で、村田塾長とはまた別の視線から補足します。

エピソード1 「偏差値ナシ男」あらわる

本文に曰く、「唯一受験した東海大学も不合格でした。」「東海大学に落ちました。さすがに通ると思って受けたのですが、だめでした。」こう書かれると、なんだか東海大学を最低レベルとバカにしているのでは?というような誤解を生むかもしれません。これには、次のような背景話があるのです。

内部進学の道を断たれ、センター試験は440点で国立はもちろんダメ、そこで大知君は東海大学を受験します。
なぜか?

「天野せんせー、予備校が出している、偏差値ランク表ってあるじゃないでスかー、いくら勉強してないっていっても、あの理系の一番下にある学科ならさすがに受かるだろうって思ったんスよ。その時たまたま一番下に書いてあったのが東海大学の○○学部××学科で、どんなところかゼンゼン知らないけど、1個くらい大学と名のつくところに受かっておきたいじゃないスか〜、で、これなら大丈夫かなって受けたら、落ちちゃったんス〜」(笑.笑)「だから、僕の偏差値はいくらかワカンナいんスよー」

…確かに、偏差値35以下ということしかわからないな。文字通り、底なしのドロ沼である。こうして「偏差値ナシ男」が生まれた。

エピソード2 リベンジ

受験勉強も、モチベーションが高いヤツほど伸びが大きいものだ。大知君は、その1つにリベンジ=復讐心があった。彼は高校の担任へのリベンジを誓っていた。内部進学はダメだと宣告され、その後は放ったらかしだったことへのウラみツラみである。

「天野センセー、ボクねぇ、来年はゼッタイ立教大と、もっと上の大学と2つは受かりたいんスよ。で、立教大学の合格通知書を高校に持っていって、担任の目の前でビリビリ破るのがユメなんスよ。」

かなりマジであった。全然勉強しなかったオマエの自業自得だろうよ、そういうのをサカウラミっていうんだぞー、と言うのが正論だったが、ヤメといた。復讐心であれ何であれ、燃え上がっていた方が、受験のエネルギーになる。ジャンじゃん燃えろ〜! 

さてさて、その結末は、もちろん立大は合格、そして格上の慶応大に2つも受かっちゃった。でも、ここまでならまあ、ありうる話じゃないだろうか?さらに、センター試験85%得点し旧帝大の大阪大学合格というオマケ以上のハンパじゃない結果がついてきた。理科もそのレベルはやっていたからまぐれじゃない。かくして、“ユメ”をはるかに越えた結果を出した大知君は、心が広くなり「許してやれる」気持ちの豊かさをもって、母校に凱旋報告したそうな。

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