長野県で悲惨な事件が起きて連日報道されている。
こうした事件に接するたびに一番考えさせられることは
人間が社会の中で孤立することの怖さである。
一人内にこもったときに人間の認識がどれほどゆがんでいくものなのかという恐ろしさである。
「人間は社会的な生き物である」とはよく言われることであり、
受験でも英文でよく出てくるテーマの一つであるが、
なかなかに分かったようで分かっていないことでもある。
しかし、こういう事件を目の当たりにすると
その意味するところが実感できる。
人間の頭脳はすごい能力を持っていて
外界を反映させながら、それを材料に〝思い〟を無限に広げていける。
それだけに外界を反映すること、
外とつながっていることがその無限の広がりを一定方向に修正し、あらぬ方向へ行かぬよう規制してくれる。
しかしそれがなくなると、糸の切れた凧のように何をどう考えだすか分からない怖さがあるのだ。
だから人間はまともな集団の中で常にもまれている必要がある。
社会から離れてはならないのである。
マグロが泳ぐのをやめたら死んでしまうように
人間は社会から外れたら人間としては事実上死んでしまうのである。
確かに「一人は楽でいい」と言う。
しかしそれによって失うものの怖さと引き換えであることを考えなければならない。
特に子供や若い人々は
多くの仲間たちの中で、多くの群衆の中でもまれてこそ健康に育つ。
みんなでワイワイガヤガヤおしくらまんじゅうをしていることが大事なのである。 そのためにこそ学校があるのに、
喧嘩をしてはいけません、
運動会で順位が付かないようにしよう、では
社会からはじき出しているようなものであろう。
子供はおしくらまんじゅうが必要なのであり、
大人も大人のおしくらまんじゅうが必要なのだ。
そうして外の刺激を日常に受けて
自分の内面にではなく、
他人に目を向けることでこそ
またその社会が健全な社会として前進し
社会の中の一人一人もまともな認識を持てる、
そういうスパイラルを創り出さなければならないのである。
その点で今の日本社会はどうか。

首相官邸で一国の首相の息子たちが幼稚な行動をとっても
それを処罰しない首相をいただく社会
それを一時非難してもすぐ忘れてしまう社会が
果たして健全なのか・・・
と天を仰ぐ昨今である。