GHS長野校主宰の天野です。
大学進学教育GHSの長野校を立ち上げて、一年が経過し、
その間に学び吸収した情報をふまえ、このたびHPをリニューアルしました。
私が仕事の縁あって家族とともに長野にやってきたのが14年ほど前でしたか。
上の息子が二歳のとき。いまや高校二年生。
私が高校まですごしたのは、山口県下関市。一応、安倍晋三の選挙区でもあります。
長州人である私も、東京の人である家内も、信州の地に、親類も知り合いも縁もなかったのですが、
(大学の時には、毎年、戸狩野沢温泉などに合宿にはきていましたが)
長野に来て、すぐに信州の人たちと自然とが好きになって、
次の年には平柴の地に居を構え、永住することにしました。
GHS長野校を立ち上げようとおもった原点は、そんな長野の地への「愛着」からでしょう。
講師紹介にあるように、私は、週日は内科医として病院勤務、週末は東京本部で授業をしています。
長野新幹線のおかげでこのようなことも可能であったのがためらうことなく長野に来た理由の一つです。
医師としての目からみると、大都市、首都圏と異なり、
長野県では「医師が充足している」とは到底言えないと思います。
みなさんも、「産科医がいなくなり診療停止」とか「小児科が閉鎖」などという
ニュースを度々テレビでみているでしょう。
地域医療を支える若い医師たちが恒常的に信州に根付くことが必要だと痛感しています。
たとえば、信大医学部は、そんな信州医を養成する機関であるべきですが、
ご存知のように、残念なことに、長野県の出身者は少なく、多くは首都圏から、
そして他県からやってくるのが現状です。
かくいうGHS予備校も、これまでに二人ばかり東京出身者を、信大医学部に合格者を送り出しました。
そして二人とも無事医師となり、一人は東京にもどり産婦人科医として、
一人は、現在、長野日赤で研修医をしています。定着率は50%です。
10年以上暮らしてみて、長野の人は、本当に故郷(ふるさと)が好きなんだな、と思います。
だから、長野の地から他県の大学医学部に行ってもきっと戻ってきてくれるな・・・と感じます。
でも、そのための学力が足りません。戦えるための訓練が足りません。
素材は劣ってはいません。その証拠に、地方から上京してGHSで学び、医学部に行く例はざらにあるのですから。
ただ、長野には進学校はあっても、その素材を全国レベルへと引き上げるいわば「虎の穴」がありません。
悔しくありませんか。ほんとうに残念ですよ。
浪人して東京まで出ないと、東大や医学部に必要な学力レベルがどんなものかさえわからず、
何をどこまで勉強すればよいかもわからないのですから。
だから、GHS長野校で私の描く夢は、「長野から医学部合格者を100名出すこと」です。
‘信州医+100プロジェクト’という願掛けです。せめて、それくらいの結果を出すまでは頑張ろう!!と。
しっかりとした学力さえつけてやれば、「信大医学部の8割は長野県人!!」ということさえ可能と信じています。
それぞれの地域の若者が、次世代の医療を担う志をもって、全国レベルで戦える道場つくる。
それを私とGHSはまずは長野からはじめたわけです。
それが、本職の教育者としてだけでなく、本業の医師としての私に託された使命だと思っています。