by GHS長野校主宰・天野
いまでこそ、中高一貫校は私立校のみならず、公立校にも一般的なあり方になりつつある。
GHSにおいても中高一貫校に通う(通った)生徒に接する機会も多くなってきた。
そんな中高一貫校の過去と現在について最近感じていることを記しておきたい。
私自身は山口県下関、その山陰側の半農半漁の町で高校までをすごした。
その当時の視点は極めてローカルな、はっきりいって「田舎者」的なものでしかなく、中高一貫校といえば、地元には私立の「お嬢さん学校」(当時の言い方)だけだった。
そして短大・大学までつながっており、高校入試も大学入試もなくエスカレーターで・・・
良いとこのお嬢さんが通うのが「中高(大)一貫校」というものだった。
それ以外は、どこか遠いところにある超進学校の2種類であり、その代表は「灘高」だった。
いや、灘高しか知らなかったといってよい。そもそも周りは灘高さえも知らない方がふつうだった。
なぜ私が小学生の時から灘高の存在をしっていたか?
「そんな地方にいても、小さい時から将来は東大をめざしていたからでしょ?」
などと大方、想像されるかもしれないが、さにあらず。
それは、今の結果から逆算するからそう思えるだけで、そんなことは微塵も考えておらず、埃にまみれて町内の子供たちとソフトボールに明け暮れているだけの暮らしだった。
ただ、小学6年くらいのとき、母親がどこからか話をきいてきて、
確か、「灘高生の受験日記」というような題の文庫本をかってきて、私に与えた。
ある灘高生が中学から東大に合格するまでの実際の日記を編集した本である。
それを通して、中高一貫校の進学校というのもあることを知った。遠い世界のことだった。だからもちろん、私に中学受験経験などない。小学校の学年がそのまま中学に入る。だから、いわば小学校から9年間の「小中一貫教育」だ。45人学級が5クラスあったが、
クラス替えが計6回あるので、大抵の人間が顔見知りであり、今でも中学の同窓会活動は活発である。
さらに、もちろん私立高校の受験経験もない。受けるべき私立の進学校は、
隣県の福岡か広島にしかなかったので、選択肢にさえならなかった。
一応、工専は集団で受けさせられたが、要は、県立高校のランクにしたがって受験するだけだった。
田舎の中学での成績は「お山の大将」状態だったので、こちらでの長野高校に相当する地元の県立高校に入った次第。
ちょっと前置きが長くなったが、そんな私からみての現在の中高一貫校のあり方への感想。
中高一貫校の良いところは高校入試がないこと
高校入試をくぐらないでよいことは、中高一貫校の利点とされる。
高校入試があると、中学三年の後半から入試までは中学の学習内容の全範囲の復習し、全範囲から出題される入試に対応するために「停滞」が生じる。
そして高校入試でその後の進路などもあら方きまってしまう。
高校入試をカットできれば、合格できなかったら・・・という心配をせずに勉強ができ、
しかも、「停滞」期間をつくらず、高校の学習内容が先取りでき、中学生の間に高校の数学Iなどを終わらせてしまうことができ、概ね高校二年までで、高校の全範囲が修了し、高校三年の間は、その復習として受験勉強に専念できる・・・これが中高一貫校の長所である。
ただし、上の通りに機能すれば・・・である。そのための条件は、
一つには、生徒の学習能力が高く、中学の内容くらいは二年で習得できて、
ほっとけば勝手に高校の数学Iくらいはやってしまうので、中学三年生は高校一年の先取りをしてかまわない!!
いわば、知識のフードファイターのごとき集団でなければならない。
・・・「灘中では、同じ中学生なのに、高校一年の内容をやっているなんて・・・」かつて、「田舎のお山の大将」は、異次元の世界に恐怖したものだ。東大にいくって大変なんだな〜と。
そういう集団だからこそ、高校二年生までに、一年前倒しで、高校課程が修了できるのであることを忘れてはいけない。
人類の認識の発展史をそれなりに踏まえて、中等教育の内容は、中学生に相応しいレベルで取捨選択されている。
小学生に、中学の先取りをして代数をまなばせ方程式を解かせて、スゴい!!と錯覚させる塾とおなじく、
また、未就学児に、ひらかなやカタカナや算数計算を教えて、先取りをして親を自己満足させる幼稚園と同じく、そんな、年齢がくれば、時がくれば、どうせふつうにできてしまうことを、1年くらい早くやってもどうということないのだ。
中学の時に高校の内容を先取りするなんて大したメリットはない。
高校一年レベルの知識は、大学入試では初歩レベルであり、ゴールで差がつくものではないからだ。やがて追いつかれる内容にすぎない。
東大に入り、かつて「別世界の人間がいる!!」 と畏怖した灘高など有名私立出身者と大学で同級生となって机をならべたとき、それが田舎者の「幻影」にすぎなかったことがわかった。なんだ、どうせ追いつくんだと。
いやいや、私などは遠回りした分・時間をかけた分、学びの広さも深さも実は優っていることに気づいたりした。
「さあ、私より先に走っていた有名私立出身の君たち、ここからは先取り学習はないんだぞ。どうするんだい?」と。マラソンで最初にスパートした人たちが、やがて後続集団に吸収されるようなものである。
中学生に高校の内容を先取りして教えるのは、年齢不相応な不自然なことであり、本当は異常な事態であることを、ふつうの中高一貫校の指導者も、保護者も気づかねばならない。
それを当たり前のこととか、むしろ歓迎すべきことと喜んではならない。
灘高やラサールなどは超進学校だからこそ、それが異常事態にならないだけである。
そうでないレベルの生徒に、形ばかりの「先取り教育」を押し付ければ、「消化不良」に陥るのは当然。だから、その知識は自分の身にならず、片っ端から忘れていく。大事な中学の基礎知識がすっぽり抜けて、
高校生となる。すなわち、
中高一貫校の欠陥は高校入試がないこと
である。人生の岐路であるという緊張感のもと、中学三年間の知識をなんども復習しては忘れを繰り返し、しっかりと身につけて高校入試を突破し、高校生となる。相当な範囲の知識を丸々アタマにいれる、そして身につけるという貴重な経験であり、それが健全のアタマの作り方というものだ。
その土台があって、高校の内容に触れるのがアタマの自然な成長過程である。
だから、中高一貫校生の多くは、高校の二年くらいになると失速する。ついていけなくなる。
中学の土台がなく、しかも、中学よりも何倍も範囲が広い知識に触れ、「アタマに入らない」となる。
それはそうだ。中学の内容を丸ごとアタマにいれた経験さえなく、定期テストで暗記しては忘れる・・・
これを繰り返して高校生になると、高校の知識の多さに、食欲減退、消化不良を起こすのは必定。
ではどうしたら ・・・・《続》