なぜか物理選択のみにて
現在GHS長野校に通っているいる受験生(三年生・卒生)が8名いますが、全員が物理・化学選択です。 例年、生物・化学選択者と適当に分かれるものですが、今年はAll & Nothing です。 GHSの体系物理のカリキュラム体系ですが、まずは、HPに公開してあります『体系物理 法則・公式読本(ver.3)』テキストの習得から始まります。 これは、東大・京大・難関医学部レベルの突破レベルを射程に入れた上で、その<基礎>をといたものです。 教科書と範囲は同じですが、決して易しくありません。微積分も普通に出てきます。 それは、「難関突破にはそれが当たり前の基礎だから」です。 そこに繋がらない「基礎」は容赦なく切り捨ててあります。つまり、難関突破に特化した<教科書>です。
想い出ほろほろ
高校の授業をいかに真面目に、頑張ってこなしても、東大や京大の問題が解けるとは到底思えないものです。 私の高校は、山口県立の1-2を争う進学校(昔の話)でした(過去形)が、もちろん、教壇に立つ先生は、地方の国立大の理学部や工学部を出て高校教師の道を選んだパターンですから、そもそもそういうレベルの問題と対決しておりませんし、そこまで教えようと思っていませんし、問題を持って質問に行こうものなら、「そのレベルは自分でやれ」と言われるのが相場です。公立高校だから、青天井(=上限なし)の予備校と違って、そこまでの責任は負わないで良いのです。だから、攻める気持ちはありませんが、物理の「恩師」となれる方は、高校にはいませんでした。 私はとりあえず文系クラスに行きましたが、理由はいろいろあれど、高校で教わった物理も化学も数学も希望が持てなかったというのも一因です。でも物理や化学自体は好きでしたし、ブルーバックスの物理や化学に関する本も自発的に読んでいました。センター試験は物理・化学選択であり、文系としてはしっかりと勉強したつもりです。 結果的は後々理転して医学部を再受験するわけですが、最初の頃、東大の入試問題を見たときに面食らいました。 「なにこれ?」「こんなの教科書のどこにあるの?」「参考書でさえ見たことない」 「こんなの解ける受験生がいるの?」「どこで、どうやって、なにを勉強するとこんなのが解けるの??」 ?????????????????????????????????????? × ∞ 驚きというより、恐怖です。距離がありすぎてビビることさえできない位でした。 だから、東大用の模試を受けても、60点で10点くらいしか取れませんでした。 いやいや、平均点自体が30点もない(東大受験生がですよ)ので、半分の30点も取れば合格点なのです。 そこから上の見えない東大物理という断崖をよじ登ること苦節??年、ようやくにして最後の年、駿台市ヶ谷校の坂間先生(故人)に一年間学ぶ機会を得て、ようやく物理という壁によじ登り、合格点程度は取れるようになったのです。東工大出身で、当時の駿台物理のトップクラスの看板講師の一人です。 その時のノート4-5冊は、ずっと取ってあります。 授業中の走り書きメモを二倍の時間をかけて清書して作った虎の子のノートです。 嬉しかったんですよ、ようやく、本物の物理に出会えた、これこそ求めていた世界だと。 でないと板書に間に合わないくらいの速書きで早口で・・・どこか偏屈で奇人っぽい方でしたが、そんなことは関係ありません。東大受験生にとっては神様でしたから。ついてこれない受験生はそういう点を不満に思っていたようですが、トップクラスのできる受験生ほどに、つまり、自分が本当に知りたいことを教えてくれる人こそが「師」であり「先生」と呼べる人ですから、一心に尊敬を集めていました。 当時、市ヶ谷から20人近く、東大理3の合格しましたが、その皆んなで「恩師」にお礼を・・・という話が出たときに、真っ先に名前が挙がったのが、坂間先生でした。 かくして、入学後しばらくして、理3の数人で授業後の先生を訪ねて、お礼の品を送り(女子が選んだセーターでしたか)、その時初めて直接話をしましたが、やはり「変人」でした。でも、そんなことは関係なし、感謝しかありませんから。
GHSの体系物理への道
現在、GHS長野校で説いている体系物理は、受験生時代の私の物理のレベルからすると遥か上に行っています。 よくあれで、東大に受かったものよ、今ならもっと楽勝で得点が取れるのに・・・と上に述べた「初心の驚きと恐怖」をすっかり忘れてしまいそうです。 最初は、大学5年生から、GHSで化学を教えることからスタートしたのですが、いつの間にか物理も担当することになっていました。その後は基本的には『体系化学』の前書きと同様ですので、公開テキストの最初の方をお読みください。
要するに、問題を解いてみせるだけでは到底合格しそうにない生徒ばかりが集まり、体系的に教えることなしには、鈍才を秀才に伍して闘うレベルに引き上げるのが不可能だったからです。 物理の体系ということは、受験生の時から夢に見てはいました。そういうものがあるのだろうと。なんかおぼろげには見えている気がしていました。しかし、現実にはその姿を捉える論理能力も機会も無かったし、医学部でそれを求めるモチベーションはありませんでした。
しかし、GHSの教壇がその場所と時間を与えてくれました。そうして徐々にその姿を捕まえられるようになり、漸く入試物理の、法則と公式を体系としてまとめあげたのが、『体系物理 法則・公式 読本(ver.3)』です。 「読本」というのは、授業を受けなくても、授業が再現・再生できるように書いたという意味です。 物理の図版は面倒だし、式の入力も大変なので、多忙な身にとっては、面倒なことは板書で済ませばいい・・・ と先送りにしてきたのですが、本部校に後継者ができて、一旦物理から手が離れることとなったことから、「読本」という形を遺して、後を託すことにしたのです。 ・・・・あらあら、全然本題に入りませんね・・・。長くなったので、稿を改めます。