共通テスト・漢文問題を振り返って
本部校のHPには1/21に電子ブック解説をアップしておきましたが、長野校では、ここでも閲覧できるようにしたいと思います。
今年の漢文問題ですが、複数文献を出すというスタイルを取るようになったこれまで4回の共通テストの中では、基本コンセプトとしては「もっともハマった」と評価したいと思います。
ここ三年間、漢文には物言いばかりつけてきたので、「好評価は意外」と思われる方もいるかもしれませんが、出題のセンスとして中々良いんじゃないかなと感じました。とは言ってももちろん、手放しの礼賛ではありません。後で触れますが、設問については若干「物言い」をつけたいところがあります。
ここまでの共通テスト漢文への『漢文ブログ』での過去記事をざっと振り返ってみましょう。
2021/01/27 第1回 共通テストってどうよ!?
まさかの、漢詩の連投となりました。・・・・・・内容的には、馬術の極意は「人馬一体」なりというだけのこと・・・・・・これは、文章としては昔の国語Ⅰのレベルじゃないでしょうか。・・・・・・どこが変わったんでしょう? どういうところが共通テストとしての変化なのか? あえていえば、変わったところは「儒教思想も老荘思想も出る幕なし」という所でしょう・・・・・・昨年は、老荘的テイストの漢詩でしたが、本問は何ら思想的背景や前提なしに漢文力だけで解けます。倫理や世界史の助けはいらない。つまり、漢文の精神世界の理解は土台として要求していないということです。・・・・・・「人馬一体」は、JRAでも同じことです。最先端のスポーツカーだって「人馬一体」が理想なんだから、言いたいことを掴むのは容易です。
・・・・・・前提知識なしに読める、社会選択による不公平がない、それは良いことに聞こえます。しかし、そこに限定するともはや漢文ではないのは確か。昔から儒教テイスト、老荘テイストの漢文はふつうに出され続けています。じゃあ、たまたまなのか・・・・。
・・・・・・いやいや、だったら今年の古文は何なんでしょう?場面は、平安時代の葬儀です。バリバリに宗教絡みでしょう?現代にはその慣習も形式も、かけらも残っていない。現代の若者にとってそれだけで「難問」です。・・・・・・そこで和歌をやり取りしているわけで? この心情に二重化するのは難事です。そういう葬儀文化の隔たり、死に対する心情の歴史的変化、しかし、そこに流れる和人としての共感・・・・・・とすると、古文と漢文で「共通テスト」としての共通項が見えません。・・・・・・共通テストでやりたいことが見えません。
2021/02/04 第1回 共通テスト 第一日程と第二日程の共通点
両問題を眺めてみて気づくことは、ともに’ノンポリ’であること。儒学は要するに政治学、統治の術、処世術。老荘思想もその対極軸である。両問題ともその匂いがしない。だからノンポリシーと言ってよかろう。
第1日程は、馬術について「人馬一体」、第2日程は書道について「生涯修行、努力は天才を作る」が主旨。現在にも通じる内容なので、「社会科目の選択や背景知識によらない中立性」という出題指針(そういうのがあるらしい)は満たしている。とはいえ、JRAのおかげで馴染みのある前者に対して、書を極めるっていう境地は素人(私も含めて)には分かり難いなぁと感じる。・・・・・・ノンポリ??? おいおい、ちょっと待て。2020年の本試にでた漢詩は老荘テイストだろう? 2019は、儒教の敬親尊祖テイストだろう??・・・ 老荘・儒教ネタは、今まで散々出しているじゃないの。これは漢文である以上、不可避のことだ。それが漢文世界なのだから。だから、両方ともノンポリというのが「共通テストとして実に斬新だ!!」 と言っておこう。(褒めてないし)
2021/02/04 第2回 共通テスト うーつまらん
「どこが思考力を問う共通テスト?」「これで、どういう(漢文的)思考力を問うつもり?」「センター試験よりクオリティーは後退」2年目となる共通テスト・国語の漢文の感想はこんなところ。文章の内容も、設問も、取り立てて漢文に時間をかけてない理系でも正解できるような作り方。「難化」を予想して、そうでなかったので、漢文をしっかりやったGHS生にとっては、文字通り「腕の見せ所がない」レベルの出題。難化した時にしっかりと踏みとどまって差をつける、それがGHSの学びの真骨頂。
だから、GHS的には「ツマラナイ」となります。・・・・・・漢文までなかなか手が届かない現役生は、ほっとしたことでしょう。・・・・・・まあ、その分、古文の方が明らかに難易度が高く半分も取れない人が少なくなかったようです。・・・・・・今度は、「趣味の庭園と珍蝶との戯れ」の思い出話です。今年も、古文との難易度の調整ができていないし。しかも、共通テストの売りであった、複数の資料を並べるという形式は止めたんですかね?・・・・・・だから、もう一度書いておきたいと思います。むしろ、こんな読みやすい文章が出たことに甘んじて、今後共通テスト漢文をナメてかからないことが肝要かと。
2023/01/16 第3回 共通テスト どこよりも早い!! 漢文解説
共通テストになっても、「漢文は漢文でしかない」というのが端的な評価です。ただ、変化したのは、これまでのような、文章の切り取りではなく、複数の文章を出すということです。これは国語全体の方針のようですから、漢文もしたがったのでしょう。
今回は、予想問題と模範答案という斬新な組み合わせでしたが、内容的には繋がっているので二つに分けて出したことに何ら新たな意味は見出せません。
だから、それが漢文として新たな・今までにない思考力を試せているかというと、「何ら変わりない」というのがこの三年間の「実績」です。漢文を、国の統一試験で、大学受験生が等しく読解することが要求されている、そういう文化を保存・継承しているという点こそが教育において重要な点ですからこれでいいのです。・・・・・・ただ、共通テストになって「前と同じ」ではいけないので、見かけを変えた、という程度でしかなく、漢文解析としての学びに何の変化も必要ありません。・・・・・・内容的には、科挙の試験制度の枠内での議論ですから、儒教的な理解と科挙についての知識があれば、選択肢の絞り込みに対してのスピードアップ・スキップが可能です。・・・・・・また、文法的修練を発揮できるのは・・・・・・解説に述べたとおりですが、この中では、問3が、文法解析の「難問」でしょう。・・・・・・文法的把握があれば、あっという間に絞り込めるので、漢文解析的には、「難問」どころではなく、「御誂え向き」の設問といえるでしょう。
昨年度は、漢文解析をもとに解説を書いてGHSのHPで公開しました(現在は閲覧不可)。そして、今年もすでに解説はHPにアップしてあります。というのも、上記のように共通テスト3年目にして、それまで三回ぶんのノンポリ的な内容から、伝統的な儒教テイストに立ち戻り、かつ、文法的にも評価すべき「難問」が出ているというのがモチベーションとなったからです。
そういう意味で、2023問題は、漢文問題としての古文の難易度と釣り合うレベルになったことを評価した次第です。ただし、複数文献を出すという形式についての意味は見出せず(一連の文章なので)、ここには ‘ ? ‘ を付けておきました。
共通テスト・漢文問題を振り返って 1 イイね
今年も解説を早々に書いたということは、それなりにモチベーションを与えてくれる問題であったわけです。そのポイントは、初めて「複数文献を出すという意味・意義が認められる」作りであったということです。
実際、本問では、メインの漢詩以外に四つもの文献を並べています。これについて、「2024漢文解析・解説」から総評の部分を引用します。
共通テストになって、「国語科では、複数の文章を出す」ように仕様変更がありました。この意図の一つが明確になった問題作りです。一つの絶句に対して、資料を四つも並べたことで、共通テストにおいて、古典でやろうとしていること、複数の文献を出してどんな思考力を試すか、ということを示す事例となったと言えます。
すなわち、「歴史学の方法論のミニマム形態」であり、事実の客観性=本当にあったことかを、複数の文献を突き合わせて、事実と言える部分を確定し、創作や脚色を排除していくという作業です。すなわち、「実証的資料批判」とか「事実の時代考証」とかいわれるものです。
この方向性は、実は2022年の古文の「増鏡」と「とわずがたり」にも見られていました。ただ、これは入試としては内容的に重たすぎて、ただの「難問」になってしまったのですが、本問はその点では成功していると言えるでしょう。
ただし、そういう出題意図であれば、問6の答えの立ち位置はすでに確定しているのであり、②か③しかないこと、つまり答えがワンパターン化してしまうことになります。すなわち、いかに考証を積み上げても「歴史上の事実は100%確定することはできない」ということです。一つの文献や遺跡の発掘などによって、それまでの定説がひっくり返ることはザラにあることですし、論争に決着がつくこともあるわけです。逆にいうと、歴史的記録、文書というものは、真実を語っているとは限らないという、当たり前のことです。その時代には書けないこともあるし、時の権力者によって事実が捻じ曲げられて記録されることもあるからです。
これ自体は、立派な見識ですが、ただ、そうすると問うことは、読解による「思考力」から、「知識力」(=やる前から答えが前ばらしになる)へと転化してしまいます。
・・・・・(中略)・・・・・たとえ正史であっても事実的な考証が必要なのですが、本問で取り上げられた文献はすべて、そういう公的なものではありません。「逸話集」とか「随筆」とかいうものは、当然ながら、事実を書き残しながらも、著者の個人的な・時代的なバイアスが掛かってしまうものです。したがって、本問では、諸文献の記述の整合性から、事実の部分とそうでない部分を選り分けていくという作業が、正史よりも一層必要な資料が提示されている、ということになります。実質的には、このような過去の文献に向き合うときの基本的な姿勢をもって思考することが求められています。
共通テスト・漢文問題を振り返って 2 それはちょっと
上で述べたのは、出題意図と形式についての評価です。これに対して設問は?というと、何気に「難所」がありません。つまり、設問のメリハリがついていなくて、設問が全体的に易し目な感じがするのは、第1回,第2回と共通です。
せっかく、昨年、文法的な解析力を発揮する設問があり、設問としてのクオリティーが上がったと褒めたのですが、そこはレベルダウンです。
その中でも、特にイチャモンをつけたいのが、まず問1です。押韻箇所と絶句か律詩かを問うています。押韻している漢字自体は普通に読めるのですが、分かれ目は絶句かどうかわかるか、という点です。まあ、漢文常識といえば常識ですが、それを問うてどうするの? 漢文的思考力? とツッコミたくなります。伝統的良問形式からすると、一箇所空欄にして、音と意味から入るべき漢字を答える、というふうにすべきだったでしょう。
また、問2(ウ)は、接続副詞「因」の意味を問うていますが、なんのウラもヒネリもなく、これなら小学生でも答えられるでしょう、とツッコミが入るところです。これを問うて5点なの?? 軽すぎない?・・・・・・1点の価値を毀損するものです。
問3は、返り点と書き下し文という定番の問題ですが、昨年の同類の設問と比較するといかにも「小者」です。鍛えし漢文解析の威力を発揮するには文法的に軽すぎて、まるで「ただ今の決まり手は肩透かしです。」という館内放送に、「横綱がそんな勝ち方すんなよー」とブーイングとともに座布団が舞い飛ぶがごとくです。
複数文献による事実の考証という「高尚」なミッションを完遂するために、四つもの文献を出してしまった見返りに、それぞれが短文となり、文法的に問うべき難所のないものばかりが並んでしまったわけです。これが一つの文章で2ページに渡る、従来のパターンだと、色々と問うべき箇所が見つかるものですが、そこに制限が掛かってしまった格好です。
・・・・・・なので、解説では、漢文に対する文法解析を行いながら進めていくのが通常のスタイルですが、この設問以降は、「不要」と判断して、そこをカットしてあります。文法解析するほどでもない文は、文法は必要ない・・・・・・要するに、文法を習得する意義は、文法の助けを借りないと読解が困難、という時の助け舟であるべきだからです。 《了》
2024共通テスト 漢文解析 電子ブック版はこちら
今回は、B5版のヨコで書いたので、パソコン画面で、そのまま開いてみるには丁度よいかと思います。