[9] 医学部に合格する実力とは 国立・私立合格者の事例
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長野で医学部・東大合格を目指すなら|大学進学教育GHS 長野校
GHS長野校では毎年、共通テストについて、オリジナルな解析と解答・解説を公開しています(下の「長野校ブログ」を参照)。それを通してGHSの独創的学習メソッドの基本的スタンスと、具体的な問題の解説によってその指導の一端が伝われば幸いです。
by ghs-yobikou
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GHS長野校・主宰 天野利公
国立後期試験や、私立医学部の繰り上げ発表を残してはおりますが、
今年度の入試も大勢が判明してまいりました。
GHS長野校のHPを見ていただいている方にお知らせします。
今年はGHS卒生から、信州大学医学部に2名が合格しました。
昨年合格した1名と合わせ、3名が同時に信大医学部生となります。
一足先に信大医学部生となった高見澤さんは、長野高校出身。
新宿本部校での学びを通して実力を伸ばし、
日大医学部など複数の私立医学部を制覇した上でチャレンジし、
見事合格を果たしたのです。
今年の合格者は男女一名ずつ。
先週本部校に行った時に、ちょうど女性の福田さんと会うことができ、
お祝いを言うことができました。
すでに高見澤さんは、昨年から、GHS長野校で数学や化学・物理の指導をしてもらっていますが、
福田さんもまた、来年度は長野校にて数学や生物・化学などの指導を引き受けてくれました。
信大医学部を志望している人とっては、眩しいくらいの存在でしょう。
憧れの医学部生に、直接に勉強を見てもらえる絶好の環境がGHS長野校にはあります。
GHS長野校には、講師として大学院生や医学部生も個別指導にあたります。
決して学生であることが、公然の秘密などではありません。
しかし、単なる学生バイトではありません。GHS卒生以外は、採用しませんし、できません。
GHSの学習メソッドで、大きく実力を伸ばし、望外の合格を果たした人のみを採用しています。
理由は簡単です。GHSのメソッドで学ぶと、誰でも同じように教える技術が身につくのですが、
知らない者には容易には真似できないからです。
そしてGHSメソッドを体現すると、その体験を同じ志を持つ後輩に伝えたくなるのです。
「自分でもできた、だから、自分に続け」と励ましたくなるのです。
そんな信大医学部生の個人指導を受けてみませんか。
もちろん、ベテラン講師が適切に指示し、場合によっては直接授業したりして
皆様の「夢」の実現をサポートします。
そんな環境が、GHS長野校にはあります。
by ghs-yobikou
GHS長野校・主宰の天野です。
今回は、現在、某私立医学部三年生、印象深い生徒の一人、Sさんの話です。
地方の公立高校、といっても地域トップではない「自称・進学校」
そんな地点から、夢を描いて医学部を目指した時、
どんな試練と困難が待ち受けているのか、
その苦労はいかばかりであったか・・・。
同じ境遇にある者にとって、けっして「他人事」とは思えないエピソードから
どこを見倣い、そこから何を学ぶべきか・・・・・・。
はじめに
私の高校は●●高校という「自称進学校」と呼ばれるような県立高校でした。医学部を目指す生徒は一人もいない状況で、カリキュラムも到底進学校とは言えないものでした。その中では比較的好成績を取っていましたが、模試では現実を突きつけられる日々。まわりの友達はBやCの判定が出たと喜んでいる中、志望校判定欄に医学部名だけを並べた私は、すべてE判定。
母とも何度も喧嘩になりました。「成績がいいんだから指定校推薦で薬学部に行けばいいじゃないか。医学部なんて冗談でしょ?」と何度も言われました。十数校の医学部を受験した所、結果はすべて一次試験落ち。それでも一年だけなら浪人してもいいと許しを得て、私の浪人生活は始まりました。
GHS予備校との出会い
浪人先で訪ねたほとんどの医学部専門予備校は一年で数百万円するような世界でした。私の家庭は医師の家庭というわけでもなく、ごく普通の家です。たった一年にしかも予備校に数百万円もかけられません。かといって、百万以下と学費の安い大手予備校では上位一割が医学部に受かるかどうか、という状況で、私が入校しても医学部に合格できるとはとうてい思えませんでした。
母とは難航する予備校探しに険悪な雰囲気になり、喧嘩も絶えませんでした。そんな中、何の気なしに「学費が安い医学部予備校ランキング」を見ていた時にGHS予備校(注:本部・新宿)に出会いました。近年の予備校業界に誤魔化しや水増しなど詐欺まがいの宣伝が横行する中、「子供は数字ではない、ひとり一人にストーリーがある」という真摯な言葉に興味を引かれ、母と面談に足を運びました。
村田塾長との面談は他の予備校とは違っていました。これまで訪ねた予備校にありがちだったセールスマンのような上っ面の雄弁さもなく、予備校の説明は必要最低限で、その他の時間は私に話をさせてくれたのです。私の「小学生の頃からブラックジャックに憧れて」という志望理由を笑いもせず「素敵なことだ」と認めてもらえたのは初めてのことでした。また、ただの面談なのに大学ノート見開きいっぱいに私の事を書き記すページを作り、私の話を真剣に聞きながらメモを取る塾長の姿は母の心も打ち、すぐさま入校を決めました。
GHSで学んだこと
勉学に関して言えば、「イメージし物事の本質を考えながら学ぶ」ということです。大学受験では膨大かつ多様な問題が出現します。その問題たちが実は同じ問題であること、似たような問題であること。それを見極められるようになること、それが「学ぶ事」だと思います。詳しいことは「勉強の仕方と成績の伸び」で後述します。
私がGHSで学んだことは勉強の事だけではありません。一番学べたことは「生き方は一つではない」ということです。私の人生において最も大きく価値観が変わりました。GHSの先生たちは様々な経歴をお持ちで、どんな経験も無駄にせず生かされています。それまで小学生の頃から「医師になる」ことだけを目指していた私の肩から力が抜けました。どんな生き方でもいいのだと。方法は一つではないのだと。そうした考えが人生の価値観を変えるとともに、勉強に関する考え方にも変化をもたらしました。行き詰ったら自分を振り返って他の方法を考えられるということは、どんなに一つの道で迷い行き詰まっていても、他にも道があるのだと思える心の余裕になりました。
勉強の仕方と成績の伸び
膨大な問題が同じ問題であることを見極めることが学ぶことだと前述しましたが、そのためには図やグラフ、写真、動画などを用いてイメージを持って問題にあたることが第一歩だと思います。イメージから本質を掴もうと考えながら様々な問題にあたっていると、問題の字面や表面だけを見るのではなくその「本質」を見る目が養われていることに気づきました。
もちろん最初はそんなに上手く行かず、成績も全然伸びませんでした。従来の詰め込みとは全く異なる指導に戸惑ったこともありました。実力がついたと実感したのは夏が終わった頃からです。毎週行われる週間テストの問題が「やったことある問題」に見えるようになり、模試の問題が「似たような問題」に感じるようになりました。そこからは前ならこんな解き方思いつかなかっただろうな、と思えるようなひらめきを感じたり、自然と解き方が浮かんだりしてどんどん問題が解けるようになりました。
「本質を見抜く」GHSの指導方針の元に焦らず、地道に、自分のペースで為すべきことを為せば、着実に実力がつくのだと思います。
合格の秘訣
私は一般入試で合格したわけではないので、一般入試で受験しようとしている方には参考にならないかも知れませんが、少し聞いていただきたいことがあります。
私はとにかく一浪で医学部に入れればどこでもいい、という考えでした。理想を言えば国公立大学か家から通える学費の安い私立大学でしたが、一浪ではそれがなかなか難しいことは分かっていました。そこで母が大学のことを色々調べてくれたのですが、大学によっては浪人生でも受験できる公募推薦がありました。公募推薦では高校の時の成績を利用して受験でき、一般入試よりも倍率がかなり低くなっています。入試問題も一般入試より軽い問題になっていることが多く、受かりやすいとは単純には言えませんが、受ける回数が増えるので前向きに検討しても良いのではないかと思います。
そして何より言いたいことは「諦めないこと」です。私が合格したのは私立大学の、学費も決して安いところではありません。しかし奨学金制度を利用したり、両親はもちろん、祖母や親族に頼んだり協力を得たりして学費の工面をしてもらえることになりました。自分が恵まれていたことは重々承知の上で、言わせてください。夢を諦めなければ誰かが援助してくれるかもしれません。家庭環境は様々で色々な事情があると思うので私が偉そうに言えることではありませんが、金銭的な理由だけで諦めて、自分の可能性を、自分の努力を潰さないで欲しいと思います。
最後に
自分の可能性と努力が花開く日まで臥薪嘗胆な日々をGHSの先生方や仲間と共に過ごしたことは、医学部合格だけではなく人生においても有意義な時間でした。GHSで浪人生活を送って本当に良かったと思います。
GHSに少しでも興味を持って、これを読んでくださったすべての皆様に暖かい春が訪れますよう、祈りをこめて。
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いかがですか。なんだかジーンときませんか。思いがけずウルウルとなりませんか?
挫折と苦労と努力と歓喜、そしてそれを次世代にも伝えたいという真摯な気持ちがストレートに伝わるからです。
「合格の秘訣」で本人が書いていないこと、本人のとっては普通のことなので自覚していないことがあります。
この文章を読めば、他人の目からは明らかではないでしょうか?
それは、「文章が書ける」ということです。自分の気持ちを、客観的にみつめ、事実とともに伝えること、
それは一般には難しいことですが、19歳でこれほどに自分の軌跡を書ききっています。
もちろん、私どもが添削したり指導したりなんてことはありません。(個人情報的にはちょっと加工はしましたが)
聞くと、本は好きで小学校の時から高校時代も色々と読書をしていたとのこと。
そう、手当たり次第。その中で、活字からイメージを描く力は自然と育ち、だからこそ!!
「豊かなイメージを描きその本質を捉える」というGHSの指導法が違和感なく受容され実践できたのです。
授業中でも、私のふったネタに(そう、歴史からアニメからお笑い・・・までランダムに)一番反応してくれていたのは彼女でした。
これを称して「国語力」といいます。そういう生徒は出発点は低くても構いません。
GHSでは、国語力がある理系がもっとも早く、大きく伸びていくことが既成事実だからです。
それは、GHSの教育メソッドが訳も分からずに暗記を迫るようなノーメソッドとは一線を画し、
彼女が書いてくれているような豊かなイメージをもった理解の場の機会をふんだんに与えるからです。
もし、まだご子息が、小・中学生であれば、ちょっとばかり背伸び・先取りしたにすぎない算数の計算ができるのを喜ぶよりも、
一冊の本を読みきったことを激賞してあげてください。それが次の本につながります。
でも、すると必ず「何を読んだらいいですか」と、即席の「答え」を求める質問が浮かぶかもしれません。
実は、その発想自体がNGです。読書というのは、「この一冊を読めばいい」というものでないからこそ「読書」なのであって、
いろいろな本に出会って、活字からそれぞれの世界をイメージし、その世界に浸ることこそが大事な脳細胞の訓練であり、
とりあえず中身はどうでもいいのです。その本の世界をしっかり描かない限り、その内容が立派なのか、くだらないのか、
もう一度読みたいのか、もう二度と読まないでいいのかの判断もつきません。
だから、「なんだ、読んだけど、つまらなかったな」とわかったら、その世界を描けているのです。それで十分です。
そこを褒めてあげてください。そうしていく中で、自分にとっての大切な、かけがえのない少数の本に出会えるものです。
・・・高校生にもなって、「本はあまりよんだことはありません」「心に残った本はありません」
面談でこれは、実際、困ることです。
同じ指導をしても、Sさんのように易易とは、我々と世界を共有できないということですから。
「読書経験が希薄」これは難関を目指すというには、恥ずべきことだという思いを、
本人が大きくなって、取り返しがつかなくなる前に、親御さんが気づき、自覚し、導いてあげるべきです。
そんな貧素な読書経験と国語力で、医学部に行きたい??
その夢もまた、薄っぺらなイメージしかないものです。それでは頑張れませんし、何より伸び悩むのが辛い。
これではGHSメソッドも、さすがに効力を発揮できません。文章が読めないなら、
たとえば、私の書いた『体系化学』もさすがに共鳴はしてくれません。
なぜなら、読書するように、読めるように書いた本ですから。
もし、まだ字が読めない段階なら、本人が気の済むまで絵本を読んであげましょう。しかも楽しく。
同じ絵本を何回も何回も、親が飽きずに、楽しく読んであげましょう。本を読むとは楽しいこと、
そんな三つ子の魂づくりが原点です。
小学生に対して「そんなくだらない本を読んでないで、宿題しなさい!!」と叱ったりしてはいけません。
もし本に集中しているならば、食事時間さえもずらしてあげましょう。
それくらいの無上の価値を読書において、小・中学生生活をおおらかに送らせてあげること、
将来はGHSに・・・・・・と考えていらっしゃる、保護者様と未来の生徒への提言です。
by ghs-yobikou
本ブログ[1] では、「信州医+100プロジェクト」と題して、
長野校の立ち上げ経緯を綴っておきましたが、
今春、長野県出身者の医学部合格者がでました!!
これを受けての「プロジェクト,進展!!」の報告です。
大都市圏はともかくとして、地方市町村域では、
医師も、医療・介護スタッフも不足しています。
「医師が赴任!!」というようなニュースが流れることで
長野県でも医療人的資源が不足していることはご承知のことと思います。
私も病院に勤務しながら、あるいは地元の医師会に参加しながら、そう感じています。
医師になるにふさわしい人格と、それに見合う学力適性をもった若者は、
長野にも潤沢にいるはずなのに、それに見合う学力を高校時代から養成できる環境が、
地方都市には無いことは厳然たる事実です。浪人してから東京か名古屋に出るしかありません。
そういう指導ができる学力・指導力を備えた人材が、地方にはほとんどいないからです。
だから、東京新宿の本部には、全国から本物の学力をつけさせてくれる場所を求めて、
受験生が集結するのです。そんな現状をみるにつけ、せめて私が住む長野では
高校生にまともに受験教育をする環境を作れないか・・・その思いがGHS長野校の原点です。
地元出身者が医学部に進み、医師となって地元にもどってきてもらい、
長野の医療を活性化したい、それに資することができたらいい。
そしてそういう取り組みが、各地方で進んでいくことが必要でしょう。
そして今春は長野県勢から、2名の医学生が誕生しました!! 祝!!
そのうち1名は信大医学部生となります。GHS卒生では三人目の快挙!!となります。
新年度からは、GHS長野校にきて(地元ですから)、今度は後輩達の「夢」の後押しを
手伝ってくれる予定です。楽しみです。
これで、本ブログ[4]で紹介した、愛知医科のEさんと合わせて+3名となります。
さらに、GHSからは、上で述べたように2名の信大医学部卒生が、信大病院や長野日赤などで
活躍の場を広げています。これで信州医は+5名。
さらに、千曲中央病院では、医学部生への奨学金制度が(看護学部生にもあります)創設されています。
金銭的な理由で、「国立医学部しか無理」という受験生は少なくありません。
だから、合格できる学力は十分あるのに、私立医学部を受験することさえためらいます。
そして、国立医学部に挑戦しつづけ、ときには夢をあきらめざるを得ない若者もみてきました。
そんな事情を、病院の理事長にお話しし、奨学金制度をつくっていただいたのです。
「そんなに優秀なのに、お金の問題で進学できないとは、なんてもったいないこと。
それは社会的損失だ。若い人の夢を叶えることができるなら・・・」
とご理解いただき、奨学金制度をつくっていただきました。
受験生の時から人格も能力もよく知っている人材ですから私が後見人となって推薦します。
すでにGHS卒生から、2名の医学部奨学生を受け入れ、一人はすでに順天医大を出で研修中、
もう一人ももう直ぐ医師となります。いずれ、そんな「生徒」たちと医療の場で
一緒に働く日が来ることになるのでしょう。これも楽しみです。
したがって、目下「信州医100-7= +93プロジェクト」進行中!!
by ghs-yobikou
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GHS長野校・主宰の天野です。
先日、首都圏某所の行きつけのワインバーで飲み友達になった人があって、
灘高から現役で東大工学部へ、そして現在誰もが知る有名企業の参与?とかいう役職の方である。
こちらが受験にも関わっているということに興味津々で、話のつれづれに、
卒生でないとわからない灘高の中の様子などを聞くことができた。
これから中高一貫校に、内部進学ではなく一般受験かつ難関受験目的でご子息を通わせたい・・・
とお考えのご父兄にとって、参考になりそうな話を少々ご紹介したい。
前回は、「先取り教育に耐える学力のある生徒」が必要条件である旨を説いたが、それでは十分ではない。
学校選びで大切なのは、「指導者の質」である。
実は、灘高の教師は、その多くは灘高の卒業生なのだそうだ。
もちろん、おシャレな都市・神戸にあるから、そういう人材が戻って来て住み着くことには抵抗はない。
果たしてそういう人材がそこに住んで居るのか? これが第一の問題である。
かの私立有名進学校の鹿児島ラサール卒生が言っていたが、その点で灘高に後塵を拝することになる、と。
だから、テストテストで追いまくる詰め込みばかりになる。これなら教師の実力はさほど必要ないからだ。
人材の潤沢な灘高校では、学年ごとに受験必要科目の教師でつくるチームがあり、
それが6年間ずっと持ち上がり、東大をはじめとする各所に送り出すまで、責任をもって指導するのだという。
つまり、中学から東大レベルまで指導できる人材が、主要科目で最低各1人として、
理社を合わせると5-6人くらいのチームを作り(その他の教科は必ずしも固定ではないそうだが)、
各学年ごとに、東大進学率を競い合うわけであり、もともと優秀な生徒をあつめているのだから、
「この学年は東大は少なかったてです・・・・」などという言い訳ができない状況で、
教師チームもそのプライドにかけて、互いに切磋琢磨するわけである。
すると、最低でも6学年で、約30人もの「東大レベルの指導ができる教師」を確保せねばならない。
もちろん、灘高卒生で固めれば、それは十分可能である・・・・とのこと。
これで何がいいたいか?といえば、普通の高校では、地方と都市部とにかかわらず、
このような指導スタッフを揃えることはまず不可能である、ということだ。
それができるのは予備校しかない。教員免許とは関係なく、学力と指導力の実力で勝負する予備校講師だからこそ、
そういうスタッフが揃えられるのである。
事実、ある中高一貫校は、スタート時の学年にその中でも「デキる教師」を固めてしまったために、
それ以外の5学年は、生徒の間からは「ハズレの学年」となどと囁かれる始末
(と卒生にして大変苦労して医学部に進学した生徒、語る)。
これが現実である。だから、ご父兄がもし、中高一貫校に通わせて難関進学を望むなら、
「高校入試がない」というのを逆手にとって
せめて中学三年くらいから、大学進学を見据えた指導をしてくれる予備校なり塾なりに、
手間暇と費用をかけて通わせるしかないのが現実である。
ちなみに、当然ながら、灘高生は、塾通いしているものの方が圧倒的に少ないそうだ。
なまじっか、塾に金をかけて行かなくても、高校教師のレベルの方が高いので不要、だと。
当たり前のことをいうようだが、
「甲子園に行きたければ、甲子園に行った経験がある、ないしは連れて行った実績のある」監督に
指導をお願いするのが近道である。
同様に、「東大や医学部に行きたければ・・・・」である。
その受け皿としてGHS長野校はある。これだけの実力講師を高校の教員として揃えられる高校はまずない。
予備校だから揃えられる、その矛盾した逆転現象は社会制度としては宜しきことではないが、これもまた、現実である。
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by GHS長野校主宰・天野
いまでこそ、中高一貫校は私立校のみならず、公立校にも一般的なあり方になりつつある。
GHSにおいても中高一貫校に通う(通った)生徒に接する機会も多くなってきた。
そんな中高一貫校の過去と現在について最近感じていることを記しておきたい。
私自身は山口県下関、その山陰側の半農半漁の町で高校までをすごした。
その当時の視点は極めてローカルな、はっきりいって「田舎者」的なものでしかなく、中高一貫校といえば、地元には私立の「お嬢さん学校」(当時の言い方)だけだった。
そして短大・大学までつながっており、高校入試も大学入試もなくエスカレーターで・・・
良いとこのお嬢さんが通うのが「中高(大)一貫校」というものだった。
それ以外は、どこか遠いところにある超進学校の2種類であり、その代表は「灘高」だった。
いや、灘高しか知らなかったといってよい。そもそも周りは灘高さえも知らない方がふつうだった。
なぜ私が小学生の時から灘高の存在をしっていたか?
「そんな地方にいても、小さい時から将来は東大をめざしていたからでしょ?」
などと大方、想像されるかもしれないが、さにあらず。
それは、今の結果から逆算するからそう思えるだけで、そんなことは微塵も考えておらず、埃にまみれて町内の子供たちとソフトボールに明け暮れているだけの暮らしだった。
ただ、小学6年くらいのとき、母親がどこからか話をきいてきて、
確か、「灘高生の受験日記」というような題の文庫本をかってきて、私に与えた。
ある灘高生が中学から東大に合格するまでの実際の日記を編集した本である。
それを通して、中高一貫校の進学校というのもあることを知った。遠い世界のことだった。だからもちろん、私に中学受験経験などない。小学校の学年がそのまま中学に入る。だから、いわば小学校から9年間の「小中一貫教育」だ。45人学級が5クラスあったが、
クラス替えが計6回あるので、大抵の人間が顔見知りであり、今でも中学の同窓会活動は活発である。
さらに、もちろん私立高校の受験経験もない。受けるべき私立の進学校は、
隣県の福岡か広島にしかなかったので、選択肢にさえならなかった。
一応、工専は集団で受けさせられたが、要は、県立高校のランクにしたがって受験するだけだった。
田舎の中学での成績は「お山の大将」状態だったので、こちらでの長野高校に相当する地元の県立高校に入った次第。
ちょっと前置きが長くなったが、そんな私からみての現在の中高一貫校のあり方への感想。
中高一貫校の良いところは高校入試がないこと
高校入試をくぐらないでよいことは、中高一貫校の利点とされる。
高校入試があると、中学三年の後半から入試までは中学の学習内容の全範囲の復習し、全範囲から出題される入試に対応するために「停滞」が生じる。
そして高校入試でその後の進路などもあら方きまってしまう。
高校入試をカットできれば、合格できなかったら・・・という心配をせずに勉強ができ、
しかも、「停滞」期間をつくらず、高校の学習内容が先取りでき、中学生の間に高校の数学Iなどを終わらせてしまうことができ、概ね高校二年までで、高校の全範囲が修了し、高校三年の間は、その復習として受験勉強に専念できる・・・これが中高一貫校の長所である。
ただし、上の通りに機能すれば・・・である。そのための条件は、
一つには、生徒の学習能力が高く、中学の内容くらいは二年で習得できて、
ほっとけば勝手に高校の数学Iくらいはやってしまうので、中学三年生は高校一年の先取りをしてかまわない!!
いわば、知識のフードファイターのごとき集団でなければならない。
・・・「灘中では、同じ中学生なのに、高校一年の内容をやっているなんて・・・」かつて、「田舎のお山の大将」は、異次元の世界に恐怖したものだ。東大にいくって大変なんだな〜と。
そういう集団だからこそ、高校二年生までに、一年前倒しで、高校課程が修了できるのであることを忘れてはいけない。
人類の認識の発展史をそれなりに踏まえて、中等教育の内容は、中学生に相応しいレベルで取捨選択されている。
小学生に、中学の先取りをして代数をまなばせ方程式を解かせて、スゴい!!と錯覚させる塾とおなじく、
また、未就学児に、ひらかなやカタカナや算数計算を教えて、先取りをして親を自己満足させる幼稚園と同じく、そんな、年齢がくれば、時がくれば、どうせふつうにできてしまうことを、1年くらい早くやってもどうということないのだ。
中学の時に高校の内容を先取りするなんて大したメリットはない。
高校一年レベルの知識は、大学入試では初歩レベルであり、ゴールで差がつくものではないからだ。やがて追いつかれる内容にすぎない。
東大に入り、かつて「別世界の人間がいる!!」 と畏怖した灘高など有名私立出身者と大学で同級生となって机をならべたとき、それが田舎者の「幻影」にすぎなかったことがわかった。なんだ、どうせ追いつくんだと。
いやいや、私などは遠回りした分・時間をかけた分、学びの広さも深さも実は優っていることに気づいたりした。
「さあ、私より先に走っていた有名私立出身の君たち、ここからは先取り学習はないんだぞ。どうするんだい?」と。マラソンで最初にスパートした人たちが、やがて後続集団に吸収されるようなものである。
中学生に高校の内容を先取りして教えるのは、年齢不相応な不自然なことであり、本当は異常な事態であることを、ふつうの中高一貫校の指導者も、保護者も気づかねばならない。
それを当たり前のこととか、むしろ歓迎すべきことと喜んではならない。
灘高やラサールなどは超進学校だからこそ、それが異常事態にならないだけである。
そうでないレベルの生徒に、形ばかりの「先取り教育」を押し付ければ、「消化不良」に陥るのは当然。だから、その知識は自分の身にならず、片っ端から忘れていく。大事な中学の基礎知識がすっぽり抜けて、
高校生となる。すなわち、
中高一貫校の欠陥は高校入試がないこと
である。人生の岐路であるという緊張感のもと、中学三年間の知識をなんども復習しては忘れを繰り返し、しっかりと身につけて高校入試を突破し、高校生となる。相当な範囲の知識を丸々アタマにいれる、そして身につけるという貴重な経験であり、それが健全のアタマの作り方というものだ。
その土台があって、高校の内容に触れるのがアタマの自然な成長過程である。
だから、中高一貫校生の多くは、高校の二年くらいになると失速する。ついていけなくなる。
中学の土台がなく、しかも、中学よりも何倍も範囲が広い知識に触れ、「アタマに入らない」となる。
それはそうだ。中学の内容を丸ごとアタマにいれた経験さえなく、定期テストで暗記しては忘れる・・・
これを繰り返して高校生になると、高校の知識の多さに、食欲減退、消化不良を起こすのは必定。
ではどうしたら ・・・・《続》
by ghs-yobikou
GHS長野校主宰の天野です。
大学進学教育GHSの長野校を立ち上げて、一年が経過し、
その間に学び吸収した情報をふまえ、このたびHPをリニューアルしました。
私が仕事の縁あって家族とともに長野にやってきたのが14年ほど前でしたか。
上の息子が二歳のとき。いまや高校二年生。
私が高校まですごしたのは、山口県下関市。一応、安倍晋三の選挙区でもあります。
長州人である私も、東京の人である家内も、信州の地に、親類も知り合いも縁もなかったのですが、
(大学の時には、毎年、戸狩野沢温泉などに合宿にはきていましたが)
長野に来て、すぐに信州の人たちと自然とが好きになって、
次の年には平柴の地に居を構え、永住することにしました。
GHS長野校を立ち上げようとおもった原点は、そんな長野の地への「愛着」からでしょう。
講師紹介にあるように、私は、週日は内科医として病院勤務、週末は東京本部で授業をしています。
長野新幹線のおかげでこのようなことも可能であったのがためらうことなく長野に来た理由の一つです。
医師としての目からみると、大都市、首都圏と異なり、
長野県では「医師が充足している」とは到底言えないと思います。
みなさんも、「産科医がいなくなり診療停止」とか「小児科が閉鎖」などという
ニュースを度々テレビでみているでしょう。
地域医療を支える若い医師たちが恒常的に信州に根付くことが必要だと痛感しています。
たとえば、信大医学部は、そんな信州医を養成する機関であるべきですが、
ご存知のように、残念なことに、長野県の出身者は少なく、多くは首都圏から、
そして他県からやってくるのが現状です。
かくいうGHS予備校も、これまでに二人ばかり東京出身者を、信大医学部に合格者を送り出しました。
そして二人とも無事医師となり、一人は東京にもどり産婦人科医として、
一人は、現在、長野日赤で研修医をしています。定着率は50%です。
10年以上暮らしてみて、長野の人は、本当に故郷(ふるさと)が好きなんだな、と思います。
だから、長野の地から他県の大学医学部に行ってもきっと戻ってきてくれるな・・・と感じます。
でも、そのための学力が足りません。戦えるための訓練が足りません。
素材は劣ってはいません。その証拠に、地方から上京してGHSで学び、医学部に行く例はざらにあるのですから。
ただ、長野には進学校はあっても、その素材を全国レベルへと引き上げるいわば「虎の穴」がありません。
悔しくありませんか。ほんとうに残念ですよ。
浪人して東京まで出ないと、東大や医学部に必要な学力レベルがどんなものかさえわからず、
何をどこまで勉強すればよいかもわからないのですから。
だから、GHS長野校で私の描く夢は、「長野から医学部合格者を100名出すこと」です。
‘信州医+100プロジェクト’という願掛けです。せめて、それくらいの結果を出すまでは頑張ろう!!と。
しっかりとした学力さえつけてやれば、「信大医学部の8割は長野県人!!」ということさえ可能と信じています。
それぞれの地域の若者が、次世代の医療を担う志をもって、全国レベルで戦える道場つくる。
それを私とGHSはまずは長野からはじめたわけです。
それが、本職の教育者としてだけでなく、本業の医師としての私に託された使命だと思っています。