大学進学教育GHS 長野校

長野で医学部・東大合格を目指すなら|大学進学教育GHS 長野校

2025 共通テスト 点差がつやすい化学の攻略法

 GHS長野校では毎年、共通テストについて、オリジナルな解析と解答・解説を公開しています(下の「長野校ブログ」もご参照ください)。今年の化学は難化して、平均点が理科3科目で最低でした。しかし、理系全員が必修ですからここで差をつけたいものです。80点越え続出のGHS体系化学メソッドによる解答解説を公開しています。

  • HOME
  • 指導科目と費用
  • 入会までの流れ
  • Q&A
  • 選ばれる理由
    • ますます難化する医学部を目指そうとする人へ
    • 中高一貫校から難関入試に挑む人へ
    • 東大・京大を志すも指導者に出会えない人へ
  • 講師紹介
  • アクセス
  • テキスト公開
  • GHS本部校のHPへ

[5] プロジェクト, 進展 !! H30入試, +3の真実

2018年3月19日 by ghs-yobikou

本ブログ[1] では、「信州医+100プロジェクト」と題して、
長野校の立ち上げ経緯を綴っておきましたが、
今春、長野県出身者の医学部合格者がでました!!
これを受けての「プロジェクト,進展!!」の報告です。

大都市圏はともかくとして、地方市町村域では、
医師も、医療・介護スタッフも不足しています。
「医師が赴任!!」というようなニュースが流れることで
長野県でも医療人的資源が不足していることはご承知のことと思います。
私も病院に勤務しながら、あるいは地元の医師会に参加しながら、そう感じています。

医師になるにふさわしい人格と、それに見合う学力適性をもった若者は、
長野にも潤沢にいるはずなのに、それに見合う学力を高校時代から養成できる環境が、
地方都市には無いことは厳然たる事実です。浪人してから東京か名古屋に出るしかありません。
そういう指導ができる学力・指導力を備えた人材が、地方にはほとんどいないからです。

だから、東京新宿の本部には、全国から本物の学力をつけさせてくれる場所を求めて、
受験生が集結するのです。そんな現状をみるにつけ、せめて私が住む長野では
高校生にまともに受験教育をする環境を作れないか・・・その思いがGHS長野校の原点です。

地元出身者が医学部に進み、医師となって地元にもどってきてもらい、
長野の医療を活性化したい、それに資することができたらいい。
そしてそういう取り組みが、各地方で進んでいくことが必要でしょう。

そして今春は長野県勢から、2名の医学生が誕生しました!! 祝!!
そのうち1名は信大医学部生となります。GHS卒生では三人目の快挙!!となります。
新年度からは、GHS長野校にきて(地元ですから)、今度は後輩達の「夢」の後押しを
手伝ってくれる予定です。楽しみです。

これで、本ブログ[4]で紹介した、愛知医科のEさんと合わせて+3名となります。
さらに、GHSからは、上で述べたように2名の信大医学部卒生が、信大病院や長野日赤などで
活躍の場を広げています。これで信州医は+5名。

さらに、千曲中央病院では、医学部生への奨学金制度が(看護学部生にもあります)創設されています。
金銭的な理由で、「国立医学部しか無理」という受験生は少なくありません。
だから、合格できる学力は十分あるのに、私立医学部を受験することさえためらいます。
そして、国立医学部に挑戦しつづけ、ときには夢をあきらめざるを得ない若者もみてきました。
そんな事情を、病院の理事長にお話しし、奨学金制度をつくっていただいたのです。
「そんなに優秀なのに、お金の問題で進学できないとは、なんてもったいないこと。
 それは社会的損失だ。若い人の夢を叶えることができるなら・・・」
とご理解いただき、奨学金制度をつくっていただきました。
受験生の時から人格も能力もよく知っている人材ですから私が後見人となって推薦します。

すでにGHS卒生から、2名の医学部奨学生を受け入れ、一人はすでに順天医大を出で研修中、
もう一人ももう直ぐ医師となります。いずれ、そんな「生徒」たちと医療の場で
一緒に働く日が来ることになるのでしょう。これも楽しみです。

したがって、目下「信州医100-7= +93プロジェクト」進行中!!

Filed Under: 長野校ブログ

[4] ある医学部合格者の軌跡と奇跡1 高校時代の’負債’

2018年1月30日 by ghs-yobikou

 この春に、愛知県の私立医大に正規合格を果たした長野出身のEさんが
GHS本部校に夏期休暇中に訪ねてきてくれたときの話である。
昨年は幾つか一次合格にこぎつけたが、わずか届かなかったとのこと。
二年前に東京・新宿のGHS本部校に在籍していた生徒であり、
GHS長野校ができるまえなので、東京まで出てきてGHSに入塾した経緯がある。
とにかく今年は「正規合格」である。当の私立医大もここ数年は
偏差値65-70程度はないと合格できない難関となっている。
いやいや、難関でない私立医学部などいまや全国どこにでもない。
20年以上まえは、偏差値50-55で入れた私立医学部もあったが、
いまは皆無。もし、現在医師の方で本稿を読まれている方がいらっしゃれば、
ご自身の出身大学の現在の偏差値を確認されることをお勧めする。
・・・というのも「なんとかウチの子でも入れそうな医学部は・・・」という会話は
現在は成立しない、ということを出発点として、
ご子息の医学部受験を考え始めていただきたいからである。
「正規合格」これが近年、どれほどの難事で憧憬の的であるかは、
少しでも医学部受験にかかわった人なら身にしみてわかるはずであるが、
これから・・・という方たちのために端的に述べておくと、
たとえば、東大などは、合格者に正規だの補欠だのという区別はないものである。
合格すれば入学するのがふつうだからである。東大に入りたいから東大を受験するのだから。
ところが、医学部受験生は医学部に入りたいのであり、かつ
私立医大は一人が何校出願してもいいので、合格者は重複する。ある医大に合格しても、
他の合格した医大があれば、そちらに進学する可能性がある。
しかも、昨今は、国立医学部志望者が、少子化と時代趨勢と学費の値下げ合戦などが
相俟って参戦してくるから、国立医学部に行ってしまう人もいる。
いきおい、それを見込んで合格者を多めにだしたり、補欠合格者をだして繰り上げたりする。
トップの私立医大は除くとして、多くの私立医学部への進学者は、補欠からの繰り上がりの
人数が多くを占める。その繰り上がり順をしめす「補欠の⚫︎番」まで発表するものである。
だから、「正規合格した」というのは、国立と併願するような、
あるいはトップクラスの私立医大に合格するような受験生と肩を並べる学力に達した!!
ということになる。狭き門のさらに第一ゲートを正面から突破したわけである。
だからこそ受験生の反応も「すごい!!」となるのである。
しかしながら、失礼は承知ながら、EさんがGHSに来た時、正直なところ、
こんな未来が待っているとは想像できなかった。
出発点は低いというより「無」であった。そんなEさんへの想い出の記。

地方の中高一貫校のジレンマ

 Eさんは、長野県内の私立の中高一貫校を出てから、GHSにやってきた。
なんとしてでも医学部にいきたい!!という意気込みと意志は感じたが、
如何せん、受験勉強に入るための基礎学力自体がまったくない。
ここから医学部をめざすとは・・・、
・・・果てしなく長く、遥かに険しく、何の保証もない道であることか・・・
最初の数ヶ月のEさんの高校時代の勉強の薄っぺらさを知るにつけ、
将来に暗澹たる思いにかられたものである。
ふつう、内部進学ができる中高一貫校というものは、そもそも特別な受験指導は
やろうとしないものである。授業は教科書レベルを出ず、その範囲について定期テストで
きちっと点がとれているか、まじめに(徹夜でもして暗記して)勉強してきたか、
教師も生徒もそういうモードになる。テストが終われば忘れてもよい、
また次のテストだ、という近視眼的な、表面的な勉強ばかりが染み付いてしまうもの。
しかし、当然のことだが医学部入試は、高校課程の全範囲から。そのどこがでるかわからない。
膨大ともいえる知識を頭に入れた上で、入試問題を限られた時間で解き切る実力が必要である。
中学入試や高校入試で、難関目指して、しっかりと勉強した経験があればまあマシなのだが
地方では県立高校が優勢なこともあって、私立の一貫校に入るハードルは高くない。
推薦入試と称して、さしたる苦労なく入ると、中学課程の三年分さえ、きっちりと頭に入れることなく
高校課程を迎えることになる。かくして、大学入試の膨大な内容が入る脳細胞になるための
トレーニングの機会を失うことになるのである。
もちろん、内部進学するならならそれでなんら問題ないが・・・・。
そんな環境で高校時代を過ごしたこともあり、Eさんは結果的に、
医学部入試の勉強を始めるための学力に達するまでに2年を要した。つまり二浪である。
しかしながら、英語、数学、生物、化学すべてを入試レベルで再履修できたこと、
いや、はじめてしっかりと応用に耐え得るような基礎をGHSに来たからこそようやく学べたのである。
とても美しい字で、整然としたノートを何冊もつくってその試練に耐えた。
厳しい高校入試をくぐらなかった分、全科目の全知識が入る頭になること自体に一年、
それが実際に頭に入って、なじんで、テストで発揮できるようになるのに一年。
このように、高校が機能しないと、まともな高卒学力を得るに2年はかかるものである。
そうやってはじめて、自分が高校時代に入試に必要なことは何も学ばさなかったことを悟る。
Eさん曰く「中高一貫校になった初年度は、とにかくいい先生ばかりその学年に固めたんです。
   つまり、6年に一回だけいい先生グループにあたるけど、私はそのハズレの学年なんです。
   今思うと、何一つ入試につながるレベルのことは教わっていなかった・・・・」
これで大きな岩壁を登りきったわけである、が・・・・。

これ以上勉強できない・・・

 2年を費やしてここまできたEさんであったが、それはまだ、ただ高校課程をまともに
卒業したレベルにすぎない。もっとも学部を選ばなければどこでもいけるが、医学部になると、
ここから、ハイレベル入試に対応できる、偏りなき学力とスピードを身につけなければならない。
想像してみてほしい。ようやく岩壁をのぼりきったとき、さらに大きな岩壁がそそり立っていることを
入試の挫折で思い知らされ、二年目の終わりに漏らした言葉「私、これ以上勉強できない・・・」
私がEさんから聞いたGHSでの最後の言葉だったように思う。
Eさんの出発点から見上げれば、医学部は高い高いハードルであったから、
これ以上は無理かな・・・・という感じさえ覚えた。
そこから一年後の昨春、Eさんからは音沙汰なく、
さらに今年の合格に報に接するまで、さらに1年の月日が流れた。
聞くと、この間は、基本的には予備校に通わず、一人で勉強していたと。
科目によっては個別指導を受けてはいたらしいが、基本的にはこの2年の学びで、
「あとは自分でやるだけ。たくさんやって身につけるだけ。」ということが分かったのだ。
2年の雌伏の期間、GHSでの学びを身につけるべく、ひたすら実戦レベルの訓練をしていたのだ。
正直いって、「正規合格」は信じ難かった。そういう出発点であったことを知っていたから。
だから心底、嬉しかった。Eさんがもし、最初にGHSの門を叩かなければ、
高校課程の再履修がしっかりできないまま、小手先の暗記に終始し、伸び悩んでいたことだろう。
その出会いから、「正規合格」という歓喜までの4年間、その初心を貫く意志の堅牢さには
惜しみない賞賛をおくりたい。
だから、これを読んだ受験生には、ゆめゆめ「私もあとに続く!!」などと思わないでほしい。
受験生諸君を激励するためにこれを書いているわけではない。
ここまではできない、許されない、と思うなら、なるべく早く別の道を探すべき!!と訴えているのだから。
医学部を目指して多浪して、後戻りできない若者をたくさんみてきた。
これは実に大変なことなのだ。登りきった岩壁の先にそれより高い岩壁があったことに気づいた時の絶望感、
それは、登りきったものでないと味わえないが、そもそもそこまで登れないで挫折する人の方が多いのである。
受験生は、そんな絶望感を受け止めて、そのさらなる岩壁をやっぱり登るしかないと腹を決めて
けっして諦めない根性、それが自らにあるかを真に問うてほしい。
親御さんには、そんな子の姿を、忍耐強く支えていける覚悟があるかを問うてほしい。
その上でのやる気であれば、GHSの教育理念と独創メソッドは、
君にかならず「共鳴」する。たゆまず登っていけばいずれ頂上に到達できる。
その道を指し示すことができるのが「メソッド」という意味である。

Filed Under: 長野校ブログ

[3] 中高一貫校の昔今 2 本物の一貫校の姿

2017年8月29日 by ghs-yobikou

GHS長野校・主宰の天野です。

先日、首都圏某所の行きつけのワインバーで飲み友達になった人があって、
灘高から現役で東大工学部へ、そして現在誰もが知る有名企業の参与?とかいう役職の方である。
こちらが受験にも関わっているということに興味津々で、話のつれづれに、
卒生でないとわからない灘高の中の様子などを聞くことができた。
これから中高一貫校に、内部進学ではなく一般受験かつ難関受験目的でご子息を通わせたい・・・

とお考えのご父兄にとって、参考になりそうな話を少々ご紹介したい。

前回は、「先取り教育に耐える学力のある生徒」が必要条件である旨を説いたが、それでは十分ではない。
学校選びで大切なのは、「指導者の質」である。
実は、灘高の教師は、その多くは灘高の卒業生なのだそうだ。
もちろん、おシャレな都市・神戸にあるから、そういう人材が戻って来て住み着くことには抵抗はない。
果たしてそういう人材がそこに住んで居るのか? これが第一の問題である。
かの私立有名進学校の鹿児島ラサール卒生が言っていたが、その点で灘高に後塵を拝することになる、と。
だから、テストテストで追いまくる詰め込みばかりになる。これなら教師の実力はさほど必要ないからだ。

人材の潤沢な灘高校では、学年ごとに受験必要科目の教師でつくるチームがあり、
それが6年間ずっと持ち上がり、東大をはじめとする各所に送り出すまで、責任をもって指導するのだという。

つまり、中学から東大レベルまで指導できる人材が、主要科目で最低各1人として、
理社を合わせると5-6人くらいのチームを作り(その他の教科は必ずしも固定ではないそうだが)、
各学年ごとに、東大進学率を競い合うわけであり、もともと優秀な生徒をあつめているのだから、
「この学年は東大は少なかったてです・・・・」などという言い訳ができない状況で、
教師チームもそのプライドにかけて、互いに切磋琢磨するわけである。
すると、最低でも6学年で、約30人もの「東大レベルの指導ができる教師」を確保せねばならない。
もちろん、灘高卒生で固めれば、それは十分可能である・・・・とのこと。

これで何がいいたいか?といえば、普通の高校では、地方と都市部とにかかわらず、
このような指導スタッフを揃えることはまず不可能である、ということだ。
それができるのは予備校しかない。教員免許とは関係なく、学力と指導力の実力で勝負する予備校講師だからこそ、
そういうスタッフが揃えられるのである。

事実、ある中高一貫校は、スタート時の学年にその中でも「デキる教師」を固めてしまったために、
それ以外の5学年は、生徒の間からは「ハズレの学年」となどと囁かれる始末
(と卒生にして大変苦労して医学部に進学した生徒、語る)。

これが現実である。だから、ご父兄がもし、中高一貫校に通わせて難関進学を望むなら、
    「高校入試がない」というのを逆手にとって
せめて中学三年くらいから、大学進学を見据えた指導をしてくれる予備校なり塾なりに、
手間暇と費用をかけて通わせるしかないのが現実である。
ちなみに、当然ながら、灘高生は、塾通いしているものの方が圧倒的に少ないそうだ。
なまじっか、塾に金をかけて行かなくても、高校教師のレベルの方が高いので不要、だと。

当たり前のことをいうようだが、
「甲子園に行きたければ、甲子園に行った経験がある、ないしは連れて行った実績のある」監督に
指導をお願いするのが近道である。

同様に、「東大や医学部に行きたければ・・・・」である。

その受け皿としてGHS長野校はある。これだけの実力講師を高校の教員として揃えられる高校はまずない。
予備校だから揃えられる、その矛盾した逆転現象は社会制度としては宜しきことではないが、これもまた、現実である。

Filed Under: 長野校ブログ Tagged With: た

[2] 中高一貫校の昔今 先取り学習の要件

2017年6月13日 by ghs-yobikou

by  GHS長野校主宰・天野

いまでこそ、中高一貫校は私立校のみならず、公立校にも一般的なあり方になりつつある。
GHSにおいても中高一貫校に通う(通った)生徒に接する機会も多くなってきた。
そんな中高一貫校の過去と現在について最近感じていることを記しておきたい。

私自身は山口県下関、その山陰側の半農半漁の町で高校までをすごした。
その当時の視点は極めてローカルな、はっきりいって「田舎者」的なものでしかなく、中高一貫校といえば、地元には私立の「お嬢さん学校」(当時の言い方)だけだった。
そして短大・大学までつながっており、高校入試も大学入試もなくエスカレーターで・・・
良いとこのお嬢さんが通うのが「中高(大)一貫校」というものだった。

それ以外は、どこか遠いところにある超進学校の2種類であり、その代表は「灘高」だった。
いや、灘高しか知らなかったといってよい。そもそも周りは灘高さえも知らない方がふつうだった。
なぜ私が小学生の時から灘高の存在をしっていたか?
「そんな地方にいても、小さい時から将来は東大をめざしていたからでしょ?」
などと大方、想像されるかもしれないが、さにあらず。
それは、今の結果から逆算するからそう思えるだけで、そんなことは微塵も考えておらず、埃にまみれて町内の子供たちとソフトボールに明け暮れているだけの暮らしだった。
ただ、小学6年くらいのとき、母親がどこからか話をきいてきて、
確か、「灘高生の受験日記」というような題の文庫本をかってきて、私に与えた。
ある灘高生が中学から東大に合格するまでの実際の日記を編集した本である。
それを通して、中高一貫校の進学校というのもあることを知った。遠い世界のことだった。だからもちろん、私に中学受験経験などない。小学校の学年がそのまま中学に入る。だから、いわば小学校から9年間の「小中一貫教育」だ。45人学級が5クラスあったが、
クラス替えが計6回あるので、大抵の人間が顔見知りであり、今でも中学の同窓会活動は活発である。
さらに、もちろん私立高校の受験経験もない。受けるべき私立の進学校は、
隣県の福岡か広島にしかなかったので、選択肢にさえならなかった。

一応、工専は集団で受けさせられたが、要は、県立高校のランクにしたがって受験するだけだった。
田舎の中学での成績は「お山の大将」状態だったので、こちらでの長野高校に相当する地元の県立高校に入った次第。
ちょっと前置きが長くなったが、そんな私からみての現在の中高一貫校のあり方への感想。


中高一貫校の良いところは高校入試がないこと
高校入試をくぐらないでよいことは、中高一貫校の利点とされる。
高校入試があると、中学三年の後半から入試までは中学の学習内容の全範囲の復習し、全範囲から出題される入試に対応するために「停滞」が生じる。
そして高校入試でその後の進路などもあら方きまってしまう。
高校入試をカットできれば、合格できなかったら・・・という心配をせずに勉強ができ、
しかも、「停滞」期間をつくらず、高校の学習内容が先取りでき、中学生の間に高校の数学Iなどを終わらせてしまうことができ、概ね高校二年までで、高校の全範囲が修了し、高校三年の間は、その復習として受験勉強に専念できる・・・これが中高一貫校の長所である。

ただし、上の通りに機能すれば・・・である。そのための条件は、

一つには、生徒の学習能力が高く、中学の内容くらいは二年で習得できて、
ほっとけば勝手に高校の数学Iくらいはやってしまうので、中学三年生は高校一年の先取りをしてかまわない!!
いわば、知識のフードファイターのごとき集団でなければならない。
・・・「灘中では、同じ中学生なのに、高校一年の内容をやっているなんて・・・」かつて、「田舎のお山の大将」は、異次元の世界に恐怖したものだ。東大にいくって大変なんだな〜と。
そういう集団だからこそ、高校二年生までに、一年前倒しで、高校課程が修了できるのであることを忘れてはいけない。

人類の認識の発展史をそれなりに踏まえて、中等教育の内容は、中学生に相応しいレベルで取捨選択されている。
小学生に、中学の先取りをして代数をまなばせ方程式を解かせて、スゴい!!と錯覚させる塾とおなじく、
また、未就学児に、ひらかなやカタカナや算数計算を教えて、先取りをして親を自己満足させる幼稚園と同じく、そんな、年齢がくれば、時がくれば、どうせふつうにできてしまうことを、1年くらい早くやってもどうということないのだ。
中学の時に高校の内容を先取りするなんて大したメリットはない。
高校一年レベルの知識は、大学入試では初歩レベルであり、ゴールで差がつくものではないからだ。やがて追いつかれる内容にすぎない。
東大に入り、かつて「別世界の人間がいる!!」 と畏怖した灘高など有名私立出身者と大学で同級生となって机をならべたとき、それが田舎者の「幻影」にすぎなかったことがわかった。なんだ、どうせ追いつくんだと。
いやいや、私などは遠回りした分・時間をかけた分、学びの広さも深さも実は優っていることに気づいたりした。
「さあ、私より先に走っていた有名私立出身の君たち、ここからは先取り学習はないんだぞ。どうするんだい?」と。マラソンで最初にスパートした人たちが、やがて後続集団に吸収されるようなものである。

中学生に高校の内容を先取りして教えるのは、年齢不相応な不自然なことであり、本当は異常な事態であることを、ふつうの中高一貫校の指導者も、保護者も気づかねばならない。
それを当たり前のこととか、むしろ歓迎すべきことと喜んではならない。
灘高やラサールなどは超進学校だからこそ、それが異常事態にならないだけである。

そうでないレベルの生徒に、形ばかりの「先取り教育」を押し付ければ、「消化不良」に陥るのは当然。だから、その知識は自分の身にならず、片っ端から忘れていく。大事な中学の基礎知識がすっぽり抜けて、
高校生となる。すなわち、
        中高一貫校の欠陥は高校入試がないこと
である。人生の岐路であるという緊張感のもと、中学三年間の知識をなんども復習しては忘れを繰り返し、しっかりと身につけて高校入試を突破し、高校生となる。相当な範囲の知識を丸々アタマにいれる、そして身につけるという貴重な経験であり、それが健全のアタマの作り方というものだ。
その土台があって、高校の内容に触れるのがアタマの自然な成長過程である。
だから、中高一貫校生の多くは、高校の二年くらいになると失速する。ついていけなくなる。
中学の土台がなく、しかも、中学よりも何倍も範囲が広い知識に触れ、「アタマに入らない」となる。
それはそうだ。中学の内容を丸ごとアタマにいれた経験さえなく、定期テストで暗記しては忘れる・・・
これを繰り返して高校生になると、高校の知識の多さに、食欲減退、消化不良を起こすのは必定。

ではどうしたら       ・・・・《続》

Filed Under: 長野校ブログ

[1] 信州医+100プロジェクト GHS長野校の原点

2017年4月26日 by ghs-yobikou

GHS長野校主宰の天野です。
大学進学教育GHSの長野校を立ち上げて、一年が経過し、
その間に学び吸収した情報をふまえ、このたびHPをリニューアルしました。

私が仕事の縁あって家族とともに長野にやってきたのが14年ほど前でしたか。
上の息子が二歳のとき。いまや高校二年生。
私が高校まですごしたのは、山口県下関市。一応、安倍晋三の選挙区でもあります。
長州人である私も、東京の人である家内も、信州の地に、親類も知り合いも縁もなかったのですが、
(大学の時には、毎年、戸狩野沢温泉などに合宿にはきていましたが)
長野に来て、すぐに信州の人たちと自然とが好きになって、
次の年には平柴の地に居を構え、永住することにしました。

GHS長野校を立ち上げようとおもった原点は、そんな長野の地への「愛着」からでしょう。
講師紹介にあるように、私は、週日は内科医として病院勤務、週末は東京本部で授業をしています。
長野新幹線のおかげでこのようなことも可能であったのがためらうことなく長野に来た理由の一つです。

医師としての目からみると、大都市、首都圏と異なり、
長野県では「医師が充足している」とは到底言えないと思います。
みなさんも、「産科医がいなくなり診療停止」とか「小児科が閉鎖」などという
ニュースを度々テレビでみているでしょう。
地域医療を支える若い医師たちが恒常的に信州に根付くことが必要だと痛感しています。

たとえば、信大医学部は、そんな信州医を養成する機関であるべきですが、
ご存知のように、残念なことに、長野県の出身者は少なく、多くは首都圏から、
そして他県からやってくるのが現状です。
かくいうGHS予備校も、これまでに二人ばかり東京出身者を、信大医学部に合格者を送り出しました。
そして二人とも無事医師となり、一人は東京にもどり産婦人科医として、
一人は、現在、長野日赤で研修医をしています。定着率は50%です。

10年以上暮らしてみて、長野の人は、本当に故郷(ふるさと)が好きなんだな、と思います。
だから、長野の地から他県の大学医学部に行ってもきっと戻ってきてくれるな・・・と感じます。

でも、そのための学力が足りません。戦えるための訓練が足りません。
素材は劣ってはいません。その証拠に、地方から上京してGHSで学び、医学部に行く例はざらにあるのですから。
ただ、長野には進学校はあっても、その素材を全国レベルへと引き上げるいわば「虎の穴」がありません。

悔しくありませんか。ほんとうに残念ですよ。
浪人して東京まで出ないと、東大や医学部に必要な学力レベルがどんなものかさえわからず、
何をどこまで勉強すればよいかもわからないのですから。

だから、GHS長野校で私の描く夢は、「長野から医学部合格者を100名出すこと」です。
‘信州医+100プロジェクト’という願掛けです。せめて、それくらいの結果を出すまでは頑張ろう!!と。

しっかりとした学力さえつけてやれば、「信大医学部の8割は長野県人!!」ということさえ可能と信じています。
それぞれの地域の若者が、次世代の医療を担う志をもって、全国レベルで戦える道場つくる。
それを私とGHSはまずは長野からはじめたわけです。
それが、本職の教育者としてだけでなく、本業の医師としての私に託された使命だと思っています。

Filed Under: 長野校ブログ

  • « Previous Page
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4

GHS長野校

  • HOME
  • 中高一貫校から難関入試に挑む人へ
  • ますます難化する医学部を目指そうとする人へ
  • 東大を志すも指導者に出会えない人へ

メニュー

お問合せ・無料相談
お問合せフォームはこちら>

GHS長野校

〒380-0921
長野県長野市栗田2009番地1 BBBビル4F
080-5004-8783 [天野・直通 下記参照]
midhei12300208@icloud.com
10:00-20:00 初回の連絡は極力「お問い合わせフォーム」からお願いします。またはメールでも構いません。電話連絡では、仕事の関係から直に対応できないことが多く、また発信元が表示されないため、折り返し連絡に手間がかかることがあります。電話連絡の場合は、要件をメッセージでお残しくださるようにお願いします。

© 2025 · GHS予備校長野校. All Rights Reserved.