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遥かなる便り〜『ドイツ通信』

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ドイツ町並みイメージ

『ドイツ通信』開設の辞・全文

先日、GHS卒業生の横山裕子さんからメールが届きました。
彼女は晃華学園高校1年生の時からGHSに通い、1997年に現役で大分医科大学(現大分大学)医学部に合格し、すぐに一年間ドイツ留学をしたのち日本に戻り、大分医科大学を卒業してまたドイツに渡り、ドイツの医師国家試験に合格して現在現地で医師として歩み始めたところです。
いつもニコニコした、かわいい女子高生でしたがたいへん芯が強く、わが道を行くたくましさも合わせもっていることはこれまでの彼女の経歴が示すとおりです。

医学という、それ自体膨大な勉学を必要とし、かつ専門用語が洪水のようにあふれる分野を、決して母国語のように自由ではない外国語で突き進んでいくことの大変さは想像するに余りあるものがあります。
幼稚化した日本の大学生に彼女の頑張りを見せてあげたいものです。 
今回、たいへん忙しい彼女に、無理を承知でドイツの、あるいはヨーロッパの医学事情、そして医学にとらわれず、ドイツに生活していて感じたことなどを気ままに綴ってもらい、GHS生およびGHSのホームページを見てくれている方々に情報発信してもらうことになりました。 
近年、GHSも医学部志望の受験生が多く、彼らにとっても海外からの、そして医学の世界を一足先に歩みだした先輩からの直接の発信は、大きな刺激となるはずです。 
GHSはホームページやMurata’s Logで記しているように、幼稚な世界とはかかわらず、知る人ぞ知る世界、共鳴しあえる者たちだけの世界を作っていければ充分と考えています。
そういう意味でGHSを巣立った卒業生たちがこうして現役生と結びつき、本質を見つめる世界をさらに充実させてくれることは、この上ない喜びです。
 『ドイツ通信』によって、若き高校生、受験生たちが大きな刺激を受け、より大きな志を抱いてくれることを心から期待しています。                        

GHS代表 村田洋一

〔掲載 第1回 〕 ドイツの医学部入学事情

ドイツの大学には日本のような入試制度がなく、Abitur(アビトゥア、ドイツの高校卒業試験)かそれと同等の資格を持っているドイツ人、またはEU圏内の者は原則として誰でも希望大学の希望学科に入ることができます。 定員オーバーの場合、Abiturの成績、待ち時間などが考慮される事になります。これをNCというのですが、医学部はNCの処置がとられている人気の高い科の一つで、人によってはAbiturの成績があまりよくなかった為、4年待ちという人もいます。 待ち時間の間に看護師としての資格を取ったり他の科を勉強するのが一般的なようです。私の知り合いは、待ち時間が長かった為、ハンガリーの医学部に入学する事にし、4学期終了時点でドイツの大学に編入手続きをする予定だそうです。 EU圏以外の志望者にはNCの科に5~10%の外国人枠が設けられており、この場合は待ち時間は関係なく、自国の大学の成績の良い者から入学許可が下りることになります。待ち時間の間に他の科を勉強できるというのは自分の専門以外にも目を向け視野を広げるという意味でもとても興味深い制度だと思います。

〔掲載 第2回 〕 ドイツの学生的住宅事情

日本では一人暮らしをするとなるとだいたい1Kなどのアパートに住むというのが一般的ですが、ドイツにはWGというものが存在します。 
WGとはWohngemeinschaftの略で、複数の人でアパートをシェアするというものです。
例えば2人のWGであれば2Kのアパートを2人で借り、キッチンとバスルームを共有します。それぞれ自分の部屋があるので個人の空間は守られます。2-4人のWGが一般的ですが、中には10人のWGも存在するし、男女混合も稀ではありません。
大学生は経済的な理由からほとんどの人がWGに住んでいますが、これはほとんど不動産を介さず、個人で大学の掲示板やインターネットを利用して部屋を探したり提供したりします。 

Zwischenmieteツヴィッシェン・ミーテ(自分の借りている部屋を更に他の人に期限付きで貸すこと)というのも存在し、例えば夏休みに2ヶ月実家に帰るために部屋が空くとなると「家具付き1部屋~ユーロで7月から9月までの2ヶ月間部屋を貸します」というような広告を出し、また貸しすることも多いです。 
大分で大学生活を送っていたときにはアパートで1人暮らしをしていた私にとってドイツでのWG生活はカルチャーショックでした。
赤の他人とアパートをシェアするのですから、共有空間の使い方など気を遣うこともありますが何か困ったときにお互い助け合う事ができ、また家に帰っても一人ではないという安心感もあり、新しい土地に引っ越して来たばかりの人には多くのプラス面があると思います。

〔掲載 第3回 〕チュービンゲン大学と日本近代医学の父

日本の近代医学がドイツから入ってきたという事は日本では良く知られていますが、ここチュービンゲン大学付属病院のカフェテリアの横には近代医学の父・ベルツを称え、水原秋桜子(俳人、東大医学部出身)による俳句が刻まれた石碑があります。    
「君によりて日本医学の花ひらく」 ベルツは1866年にチュービンゲン大学医学部に入学しました。
その後1869年にライプチッヒ大学医学部に移り、1875年ライプチッヒ大学入院中のドイツ留学生相良玄貞と出会ったのがきっかけで1876年に日本政府の招きで来日することとなります。
現在の東京大学医学部の前身である東京医学校で26年もの間教鞭をとり、数多くの優れた日本人医学者を育てると共に公衆衛生の分野でも活躍しました。 
また後に皇室の侍医も務め、その他井上馨、大隈重信、陸奥宗光、大山巌および夫人、板垣退助、岩倉具視、山県有朋などの明治政府の高官やその関係者の診療にもあたっていました。

ドイツに来て医療に携わっていると頻繁に「なぜドイツで医学を学びたいと思ったの?」という質問をされます。 
私がドイツという国とドイツ語に興味をもったきっかけは1年間の高校留学(1997)でしたが、その後日本の医学部で必修だったドイツ語や、しばしば耳にするドイツ語由来の医学用語、図書館にあるドイツ語の古い文献などを通して日本の近代医学のルーツであるドイツで医学を勉強したいという思いが大きくなりました。 
多くのドイツ人は日本の近代医学がドイツより来ている事を知らない為、今でも多くの日本の医学部でドイツ語が必修である事、また、以前は多くの医師がカルテをドイツ語で書いていた事などを話すととても驚かれます。 
チュービンゲン大学は1477年に医学部が神学部、法学部、哲学部とともに創立された、とても歴史のある大学です。
このようにドイツ国内でも歴史のある、また日本医学とも関わりのあったチュービンゲン大学で医学を学ぶ事が出来たというのはとても感慨深いものがあります。              2006.10.12記

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