頭を良くする勉強と頭を悪くする勉強法
例えばここに、A君とB君という二人の小学生がいるとします。A君には良い勉強をしている人の代表になってもらい、B君には悪い勉強をしている人の代表になってもらいます。この二人に 「ある人が速さ2m/秒で3秒歩いた。進んだ距離はいくらか。」という問題を解いてもらいます。誰しもが解いたことがあるので、勉強法の例としてはわかりやすいでしょう。もちろん、式は2×3=6で答えは6mです。二人の小学生A君とB君も式と答えは同じなのですが、頭の中で考えたことが大きく違います。
1 A君の考え方
A君は普通に前から読み、速さ2[m/秒]で歩いている人をイメージしようとします。このとき、速さが「1秒間にどれだけ進むか」ということから、1秒に2m進む人がイメージでき、3秒であるから、この進みを3回行うというイメージをします。ここから、2×3=6という式を立てて正解します。
2 B君の考え方
一方でB君は、この問題文を読んでいき、「速さ」という言葉が出てきたときに、「これは速さ・時間・距離の問題だな」と思い、有名な『きはじの円』を頭に描きます。この『きはじの円』を書き、文章を読み進めていくと、文章中に速さと時間が書いてあるので、この『きはじの円』に代入します。そうして、この問題では距離がわかりませんから、距離の部分を隠すことで「は×じ」が出てくるので、2×3=6という式を解いて正解します。
このように、式と答えは同じで、答案用紙には全く同じことが書かれているのですが、二人の頭の中は全然違うことが分かります。どちらが良い勉強なのかは一目瞭然ですね。A君は頭の中で文章を絵にして、運動をイメージしながら、それを式として表現しています。つまり意味を分かって解いています。B君の頭の中はどうでしょう。教わった図式だけがあって、それに当てはめているだけです。つまり意味を分からず正解(?)を出しています。二人に「なぜこの式が出てきたんだい?」と質問してみると両者の違いはよりはっきりします。A君は、「速さというのは・・・」と、先ほど考えたイメージを展開してくれるでしょう。対してB君は「なぜって言われても・・・」となるでしょう。おそらく「なぜ」という質問自体が理解不能でしょう。つまり、わかっていないのです。そのさきの応用問題には到底太刀打ちできないだろうことは容易に予想できます。
たしかに小学生の問題だけを見れば『きはじの円』でも切り抜けられます。しかし、B君の人生はこの後も中学校、高校・・・と続いていきます。この二人のこれからの人生はどうなっていくでしょうか。
例えば中学校の理科で「加速度」というものを習ったときに、B君は一体どうするのでしょうか・・・。A君は速さのイメージがついているので、その後の生活の中でも、「あれは速さだな」と速さのイメージを育てていますから、速さが変化するということにもすんなりと以前のイメージを生かして入っていけますが、B君は速さのイメージがつかないままにその速さ(?)が変化するということを習うのです。B君はまたもや形式的な公式の暗記に頼ってしまいます。
そしてもし高校に進んだ二人が物理選択であったなら、加速度の原因が力だということを習っていくのです。二人の差は広がっていくばかりです。これはGHSの物理講師の言葉ですが、曰く物理選択の生徒で、「エネルギーと仕事とは何か」「電位とは何か」「波とは何か」などをしっかりと説明できない生徒は、B君と同じ「きはじ脳」を育ててしまっている可能性が高いです。恐ろしいことに、当人はしっかりと勉強を積み重ねているつもりでも、実際はその逆で、どんどんと自分で自分の頭を悪くしていっていることに気づかないのです。こうした現象が国語でも、英語でも、化学でも生物でも起こっていくのです。国語や英語では、文章の中身をイメージできず、化学では粒子の組みかわっていくイメージが描けず、生物では暗記と知識の区別がつかないのです。
たとえば数学を必須とする医学部受験生なら思い当たる節があると思います。「x,yは実数である」とあることから実数条件を割り出します。しかし、なぜそうするのか、そうしなくてよい場合と何が違うのか、をしっかりイメージ(理解)できないままに、ただ機械的に判別式を立てていませんか?それがどんなに表面的な学習か、まさに『きはじの円』とおなじ学習であることに気づいてほしいと思うのです。
A君の勉強は、速さが分かっているから、加速度も、力もわかっていき、イメージがどんどんつながって、新しいことを学ぶことがどんどん簡単に、楽しくなっていきます。物理の世界が分野を超えて横に縦につながって、勉強したら勉強した分だけさらにわかるようになっていくのです。これが本当に勉強するということであり、本来勉強がつまらないということはあり得ないことなのです。
「パターン暗記の勉強法でも、大学に合格している人はいるのではないでしょうか?」
このような質問が当然生じます。先のB君のような勉強を続けていても中堅レベルの大学の入試程度であればパターンを詰め込んで合格する人も確かにいます。しかし、問題が二つあります。
一つは、「解法パターン暗記」方式の受験勉強で合格する人はいますが、合格しない人がその何倍も多いことです。興味深いのは、そのような勉強をしている受験生の中に、模試の成績では合格の判定が出ているのに、合格しない(本番に弱いというのでもなく)ケースがたくさんあるという事実です。なぜこうした筋の通らない現象が起こるかと言えば、こういう中身の薄い学習をしている場合、合格する人としない人の違いは、実はもともとのその人の資質によるもので、学習の成果ではないからなのです。この点については、長くなるので別の機会に記すことにします。
もう一つは、詰め込んだ知識はその後の人生には不要なものが多く、しかも1カ月もあれば消滅してしまい、その学びの過程で身に着けるべき若い人間としての進歩がほとんどない点です。
残念ながら、こうしたパターン暗記をさせて「ニセモノの学力(?)」をつけさせて合格させる予備校もたくさん存在します。この方が教えるのは楽で、教える側の実力もあまり必要としないからです。それでも一定の資質をもともと持っている生徒は、自分でそれなりに理解を深め、GHSがお墨付きを与えるほどではないにしても、すでに合格に近いところ(一次試験を通過するくらいの成績)にいるのであれば、一年で合格していくことも起こります。しかし、そうではない多くの〝普通の〟受験生は、こうした指導による受験勉強でますます迷路に入り、泥沼にはまり込んでいくのです。これは何としても避けなければなりません。
他方、A君のような勉強を積み重ねていくと、たとえ才能としてはごく〝普通の〟受験生であっても、この学習の仕方の性質上、その過程でどんどんと頭がよくなり、余裕を持って大学に合格できます。なぜなら、分かって問題を解くことができるのです。物理であれば物理の世界を分かり、目の前にある問題の意味・状況を分かって解いていくのですから・・・。これはもうこれ以上説明する必要はないでしょう。
是非に「アタマの良くなる正しい受験勉強」をしよう!
ですが、今まで間違った勉強をしてしまった人が大学受験の膨大な範囲を一人で正しく勉強していくのは困難なことです。自分が間違った勉強をしてきていることに気づくことさえ難しいでしょう。ですから、そうした人が正しい学力をつけていくためには、教科の本質を正しくわかっている実力ある講師に、どこが間違っているか、どう考えていくべきかを具体的な問題を通して、そのつど教えてもらえるような環境が絶対に必要です。もしこれを朝から晩まで実力のある講師・チューターにしっかりと指導してもらえる環境に入り込むことができるならば、こんな幸せな浪人の期間はないでしょう。ここにGHS予備校の存在意義があります。
GHS独自の方法論
GHSでは、全ての教科で「本物の学力とは何か」ということから指導が行われていきます。先ほどのような正しい勉強を続けていき、つながりが分かっていくことはもちろん、それらのつながりを本質的なものから考えていけるようにアタマを体系化していくという独自のメソッドを持っているのです。GHSの生徒は各教科の授業で「英語とはこういう言語だ」「化学とはこう考えるものだ」「物理とはこう考えるものだ」「数学とはこう考えるものだ」というどの問題にも共通する本質的な考え方から個々の問題をつなげていきます。そして、そうした授業を受けつつ、自らでその考え方をものにするべく勉強し続けているうちに、だんだんと本質から考える思考が身についてきます。そしてこうした能力が身についたとき、一見複雑で難しそうな問題、今まで見たことがないと思える問題も、結局単純な問題 の単なる変化でしかないことが見抜けるようになるのであり、一つの考え方からすべてが解けていけるようになるのです。
その卓越した指導が「体系化学」「体系物理」「数学セメント」などの独自のテキスト群を生み出し(その一部はテキスト公開で公開されています)、また一方では生徒の飛躍的な成績・学力の向上と、それによる志望校合格として実現しています。
これから予備校選びをする皆さんには、ぜひとも正しい勉強をしてほしいと願います。
予備校選びについては、よろしければ【対談】正しい予備校選びの指針
も合わせてご一読ください。