【GHS村田代表 プロフィール】
村田洋一:1956年6月8日宮城県仙台市生まれ。
まわりを山、川、畑に囲まれた環境の中で自然に親しみながら小学時代を送る。中学時代はバレーボールに専念。仙台第一高等学校を卒業後、一年間の自宅浪人を経て、東京大学文科二類に入学。
高3の秋、ベテランの進学指導教諭であった担任より、「能力的に言って、浪人しても東大は無理」である旨宣告されるも、浪人開始わずか4ヶ月で全国16位 (当時東大受験者がこぞって受けた駿台全国公開模試)の成績まで向上させる。
東京大学経済学部卒業後、神奈川県にある私立桐蔭学園で6年間教員生活を送る。その後、自らの受験体験に基づく独自の指導理念を実践するため、多くの賛同者の協力を得て 1993年夏にGHSを設立し、現在に至る。
GHSの指導理念と指導方法の独自性は、代表自身の受験体験に基づいている。それは、世間でそれほど珍しくはない「成績不良を短期間で飛躍的に上昇させた」というものとは異なり、「成績ではなく、能力を否定された(実際能力がなかった)現実から出発して、単に東大に合格するというレベルではなく、東大に何番で合格するかというレベルに 学力・能力を創り上げた 」という体験と実践である。前者を量的な飛躍とすれば、後者は 質的な飛躍であり、次元レベルでの発展 であって、その体験と、その体験を論理的に把握したところから創られた指導体制だからこそ、GHSはこのホームページに紹介するような、破格な実績と人材とを次々と生み出しているのである。
GHSの独自性とは
[1]. 本物の少人数制を貫く
ー 塾・予備校の適正規模はどのくらいか? ー
GHSは「国立大学医学部・難関大コース」(既卒生対象)の総定員がわずか20名、「私大医学部専門コース」(既卒生対象)が同じく10名のみ、高校生は各学年数名という総数少人数制です。
「少人数」を謳(うた)っている塾はたくさんありますが、その「少人数」の意味するところは塾によって様々のようです。一教室に20〜30人であっても、実際はそうしたクラスが何クラスかあって、合計すると優に100人、200人になってしまうというところも珍しくありません。これでは少人数の意味がなくなってしまいます。
GHSは総数少人数制の予備校です。逆にあまりに少ない「個人塾」でもありません。人間には集団力が必要だからです。
各講師が生徒1人1人の顔を知り、
個々の学力を知った授業と丁寧な質問対応を展開するのはもとより、
一定の集団力と良い意味の競争心を有効に発揮するために
適正な少人数を設定しています。
[2]本物の学力をつけさせ「頭を良くする」教育を貫く
ー本当の学力とニセモノの学力があることを知らねばならないー
ある有名進学校の出身者が語ってくれたことですが、そこでは中学に入学するや膨大な量を試験範囲として与え、テストテストで追いまくっていくそうです。ほとんどのものは脱落するそうですが、上位50人ぐらいはプライドにかけてついていって東大に合格するそうです。彼らはその膨大な試験範囲をクリアーするために、丸暗記に走るのだといいます。
しかも、理解し、咀嚼する時間も取れないほどの膨大な量であるがために、理解していないものをまるでカメラに写すかのように頭に入れて、つまり目に焼き付けてしまうのです。“すごい能力”ですが、果たしてこれで「頭がよい」といえるでしょうか。確かにすごい記憶力ですが、こうして覚えたことがその人の教養として実になるものでしょうか。
記憶力などというものはやがて衰えていくものです。
こうしていい大学に入っても結局
何も残っていないという悲惨な事態になりかねません。
それが証拠に、この高校出身者の大学での留年率が全国でも“トップレベル”だそうです。この現実を真剣に受け止めてほしいものです。こうした教育を子供にさせる側の罪というものを真剣に問う必要があるのではないでしょうか。
記憶力というものは人間の認識能力として大事なもののひとつです。しかし、記憶にも「理解して記憶すること」と、今述べた学校の生徒のように写真機が写し取るように「暗記的に記憶すること」とは違います。さらに肝心なことは、「頭がよいこと」と「記憶力がよいこと」は同じではありません。
本当の意味で頭をよくするとはどうすることなのか、
そこをしっかり押さえて本人の将来のために
本当の意味の学力をつけてやることが
教育に携わる大人たちの役目であるべきです。
[3]. 体系的に思考できる能力を身につける学習方法を貫く
ー“本当の学力”とは論理的な思考能力であり、体系的・立体的に物事を見ることができる能力であるー
大学までに身につけるべき“本当の学力”とは何でしょうか。これを言葉で伝えることはなかなか困難だと言えます。それは豊かな内容をもった総合力であり、受験指導を通して伝えるしかないものです。しかし、あえて端的に述べるならば、
それは論理的な思考能力であり、
体系的・立体的に物事を見ることができる能力であり、
見た目が違っているものの根底に共通性を見て取れる能力であり、
ついには数学も物理・化学・生物も英語も国語も社会も
みんな共通しているのだ、ということが分かる能力
だといえましょう。
そうした能力がついたとき、一見複雑で難しそうな問題、今まで見たことがないと思える問題も、結局単純な問題の単なる変化でしかないことが見抜けるようになるのであり、一つの考え方からすべてが解けていけるようになるのです。
大手予備校では、規模が大きいだけに、各講師が各々よかれと信じる指導法や授業法で話をすることになり、ある先生がよいと言ったやり方が、別の先生によるとダメだといわれ、生徒は混乱・困惑しその間をウロウロしてしまうのということをよく耳にします(すでに十分学力がある生徒は器用に処理できるのですが・・・)。これに対して、GHSはどの授業でも教科を超えた普遍的・一般的な思考力を目指して行われているので、いずれ生徒たちは教科の違いはあっても底に流れる本質は同じなんだな、と感得できる日、つまり「本物の学力・実力」が付く日が遠からず訪れます。
GHSが通常は難しい飛躍的な成績の上昇を生み出しているのは、
問題を解くこと自体を最終目標にするのではなく、
教科ごとの知識や理解を通して一次元視野の広い学力を養成して
結果として容易に問題が解けるという「学習方法」を行っているからです。
恐縮ながらそれがどういうものであるのかは体験してみなければ分からないのですが、このホームページの中に何かしらを感じ取ってもらいたいと思います。
GHS塾長 村田洋一
GHSの教育は本質的にどう違うのか?
GHSの根本教育理念
The Principal Ideology of GHS on Educational Method
個人差として現象する能力は
持って生まれたものではなく育てられてきたものであり
したがって若いうちであれば
いかようにも能力を創り出し また創りなおすことができる
ここでお話しする根本理念とは、人間をどう捉えるかという一番根底に位置する次元の問題です。
こうした考え方に否定的な方もいることでしょう。特に、芸術の世界に住んでいる方には「能力は持って生まれたものが大きい」というのがいわば定説でありましょう。仮にそういうものがあるにしても、さしあたって、「大学受験」に必要な能力、大学へと向かう学力の形成という点に限定する限り、「持って生まれた才能」という発想をGHSは持っておりません。百歩譲ってそれを認めるにしても“それを無きものにしてあまりある能力を学習によって創造できる”という考え方に立っています。
これがGHSすなわち
“Gresste Hoffnung”=「大いなる希望」の名前の由来であり、その中身なのです。何がそんなに“大いなる希望”なのか? といえば、この「人間観」が持つ可能性のすばらしさを考えてもみてください。
こんなうれしいことが世の中にあるでしょうか?
こんな希望がほかにあるでしょうか?
これから人生を切り開いていこうとする若者にとって自分に可能性があること、
たとえ今厳しい現実に突き当たっているとしても、
人間である以上そこを大きく克服して
高い次元へと昇りうる可能性を保証されていることは、
これ以上ない希望と言ってよいのではないでしょうか。
若者は成長途上にありまだまだ力がありません。その若者が受験という壁に突き当たるとき、その志が大きければ大きいほど、それに跳ね返される挫折感も大きく、ともすると、現在の実力ではなく、自己の可能性をも含んだ能力そのものを疑ってしまいかねません。これは体験した者にしか分からない大変な絶望です。そこに大きな希望を与えること、それがGHSの根本理念なのです。
決して実体のない空文句や無責任な美辞麗句ではなく、実体験と実践によって実証されたものとして保証された、それゆえ“大いなる希望”である根本理念なのです。GHSはただ単に成績を伸ばすという表面的な次元を超えて、能力そのもの・器(うつわ)そのものを変革し成長させるという次元に志をおいた学び舎です。それが破格な成績の上昇として現象するということなのです。GHSの独自性はここにこそ、とご理解ください。
ー誤解なきようにー
ひとつ、事前に誤解を防止しておかなければなりません。自分の能力を変革し、創り上げていくということは人間である以上誰にでもできることであり、だからこそ“大いなる希望”なのですが、達成するのは決して簡単ではないということです。
世間にはそのノウハウがありません。GHSはその体系的方法論を持っている稀有な予備校ですが、GHSに入学しさえすれば、もう寝転んでいても能力が向上する、などということはありません。
ときどき保護者の方が「うちの子はやる気がないのでやる気を出させて欲しい。」と言ってくることがありますが、とんでもない!本人にやる気があることが前提です。
なぜなら、能力そのものを伸ばす!
という大変な幸運を実現するのに
甘えや怠惰は許されません。
GHSでは稀有なことを現実化しているのです。したがって、世間一般の常識ではありえないとされていることを実現させているのだ!という「僥倖」を理解しない限り、この“果実”は手に入れられないのです。 人生に対していい加減な態度であるならば、そもそもこの“果実”を手にする資格はないのです。
この“果実”を求めての、ある意味でサバイバルゲームになることはいたし方のないことです。
それだけのものを目標にしているのですから。
しかし、正しい方法論にしたがって素直にその通りに学習を進めた人は間違いなくこの“果実”を手にすることができるのだし、実際に手にしてきている事実がしっかりとあるのです。このホームページにはこれを手にした卒業生たちが次々に登場します。そうした高いレベルでの輪を広げることがこのホームページの役割です。まじめに自分の人生を考えている若者が集う場がGHSです。