GHS長野校主宰・天野です。
大学入試、そして高校入試が幕を閉じ、各人各様、本部新宿校の生徒からも、長野校の生徒からも悲喜交交の報告を受けています。それが入試というものですし、全部が全部上手くいくということもないものですから(ちなみに、長野高校から信大医学部に進学し、今年めでたく卒業し医師国家試験に合格したGHS卒生からも報告を受けました)。
GHS長野校では、今年も信州大学医学部に合格者が出て、これで信大・医学部合格は長野校からは4年連続であり、本部校と合わせて全学年にGHS卒生が在籍することとなりました。・・・その生徒の中学生の時の入会時を振り返って、最初に浮かんだ言葉が「千里の道も・・・」でした。
でもそれは「遥かに遠い、不可能に近い、困難な道を歩き通した・・・」ということではありません。この言葉は元々は『老子』にある文が一人歩きして、「どんな遠い道もコツコツ、一歩ずつ努力すれば、いつかは必ず到達できるのだ、努力をやめてはならない」・・・という風な励ましに使われるのが常ですが、原典の意味はそうではありません。[それについては、本題ではないので、別稿(GHS 本部HP 漢文ブログ)にて掲載予定]
難関大受験を志すならは、「千里の道」だけにその第一歩を踏み出す方向を間違えると大変なことになる、場合によっては取り返しのつかない遠回りになる、という恐ろしさにこそ目を向けるべきです。かつての中田英寿(元サッカー日本代表: イタリア・セリアAで活躍することを前提として、中学のうちからイタリア語を勉強していたとのこと)ではないですが、信大医学部に行くために、中学生のうちからご両親と共に何をすべきか、どんな一歩を踏み出すかを考え、GHSの門を叩き、文字通り真っ直ぐに、最短距離で、予定通り合格に向かって歩き通したということが重要なのです
もし、最初の踏み出す方向が間違っていて、しばらく歩いてから、正しい方向を見つけて転換すると、その分遠回りすることになります。そして、よくあることですが、間違った方向(やってもやっても成果が上がらない、やるほどに成績は下がる等々)にかなり進んでから、間違いに気づいた時、そこから方向転換することができず、一度出発点に戻ってやりなさねばならない、というとんでもない遠回り(=何年も浪人する)をすることになった受験生もまた見てきています。それでも、やはり原点に戻った方が早いのですが・・・。
かく言う私が、医学部を再受験した身ですので「遠回り」だからといってネガティブには思ってはいません。それもまた人生を振り返れば意味や意義を見出すこともできるものです。ただ、・・・
努力すること自体が尊いのではありません。努力する姿があれば報われるのでもありません。
「正しい努力を積み重ねることだけ」が、殊、受験においては意味があるのです。
GHSの学習メソッドと指導カリキュラムは、その正しい道を把握し、テキストとしてその道を描き切っていますから、その道を素直に、弛まず確実に歩むことだけが求められる「才能」なのです。