未履修問題に絡んでいる別の問題を取り上げてみたい.

そもそもの発端は,10年ほど前に,ある人物の政治的働きかけで

世界史が高校生の必修科目になったことにある.

表向きの理由は「ますますグローバル化するこれからの時代に対応していくために・・・」

というものである.

この時から,センター試験の世界史があからさまに平易になった.

高校生に世界史を選択させるためである.

しかし,文系の生徒にとってはまだしも,

理系の生徒にとって膨大な量の世界史はあまりに負担が大きい.

当然のように,現実は理系の生徒のほとんどが,

センター試験で公民(政経・倫理・現代社会)か地理を選択する.

したがって,

必修である世界史の授業がこれらの受験生には「うとましい」存在になっている

というのが問題の表面的構図なのである.

最近の報道は「未履修とはけしからん」という段階を終わって,

問題の根本を探ろうという段階に進んできている.

そこには,世界史を必修にすべきなのか,とか

まずは自国の歴史を知ってこそ国際人ではないか,とか,

はたまた,歴史を日本と世界に分けるのがおかしい,など

いろいろな意見が出ているようである.

しかし,一番見直さなければならない問題は,

歴史の授業のありかたそのものであろう.

膨大な量を,誰が何年にどうした,という細かさで問う歴史の教え方が問題なのである.

先日,医学部に通っている卒業生が興味深いことを教えてくれた.

現在の医学部の学生が憶えなければならない量は,

十年前の医学部生が憶える量の十倍だというのである.

情報化社会である現在,

日常生活においても溢れるばかりの情報が洪水のように押し寄せ,

加えて,学生はますます増大する各教科の知識を吸収していかなければならない.

これでは,どこかで,パンクするに決まっているではないか.

問題は知識をどう学ぶか,どう学ばせるかなのである.

まず,大学入試の世界史や日本史が重箱の隅をつつくような問題を出し続ける愚かさから脱することである.

歴史を学ぶとはどうすることなのか

という本質的な問題をもう一度考え直し,

歴史の授業方法,カリキュラム,試験問題を刷新すること

それ無しには問題の解決は図れないであろう.