世相という言葉がある.

世相を反映した社会心理がある.

現代はどうだろうか?

情報化社会になり,

ますますアメリカ的な資本主義社会になり,

信じがたい事件が頻発し,・・・.

芥川龍之介ではないが,

何か漠然とした不安に包まれて・・・

といった時代感覚ではないだろうか.

不安とまで行かなくとも,

何となく先が見えない,

どこに軸足を置いたらよいのか分からない,

と感じている人々は多いようだ.

こういう時こそ,浮き足立たずに,

基本に戻ることであろう.

先日,高校生の息子の塾探しで

熱心に飛び回っているお母様が見えた.

質問もなかなか細かい.

GHSの在籍者の高校をつぶさに知りたがり,

全員分答えるまで一歩も引き下がらない勢いだ.

母親は息子のために良かれと思ってやっているわけであるが,

男の子を育てる基本を分かっていない.

主体性や自立心をいつ育てるつもりなのだろうか.

子供によい学力を付けさせたい,いい大学に入れたい

というのは,分かるし,何の問題もないのだが,

学力の前に前提として育てなければならないことを

見失っては本末転倒となろう.

母親が熱心なあまりちょこまか動きすぎると

男の子が女の子として育つのだ.

男には男の,女には女の基本がある.

差別ではなく,相異である.

母親は自分の“女性”を息子に刷り込んではならないのだ.

当たり前のことが当たり前に現象していた時代の母親は,

そういう基本をしっかりわきまえていたのだが,

今の時代はそうした当たり前のことが見えなくなっている.

だから,混迷のの時代なのだろうが,

そういうときこそ,じっくり基本に立ち返るゆとりを持ちたいものである.

目先の欲得に目を奪われるのではなく,

人間として当たり前のこと,自然なことを基本にすえればよいだけなのである.