新年早々,凄惨な事件が報道されている.
殺人の直接の動機が何であったかということは,
ここでの命題にはならない.
問題はこの事件が,極めて特殊な例外的事件ではなく,
社会全体のゆがみの反映だと
多くの人々が感じている点に関わる.
古くは,宮崎勤事件やサカキバラ事件だろうか.
政治家の賄賂などは昔からあって驚きもしないが,
近くは,社会保険庁の杜撰な実態,県庁による裏金の焼却,
我が子への虐待,いじめによる自殺,未履修問題,
等々,にわかには信じがたい内容の事件が
枚挙に暇がないほど連続している中でのさらなる正月早々の今回の報道では,
さすがに,多くの人は
この日本社会自体が何か大きくゆがんできている
との問題意識を持たざるを得ないであろう.
これを,物質的な豊かさと引き換えに,精神的な豊かさを失ってしまった
と言えば言えよう.
そもそも,資本主義が社会を蝕んでいるのだと捉える人もいよう.
仮にそれが的を射ているとしても,
それを否定することが解決方法であるとは限らない.
今さら進んで貧しさに戻ることなどできようはずがない.
問題は,物質的な豊かさの中でもやれることがあるという点にあろう.
逆から言えば,やれるのにやらないで来たことがあるのではないか,
その代償として今噴出する数々の事件があるのではないのかということなのである.
以下次回に.