最近の事件の数々を見ていると,

人間は何でもしてしまうことが出来るものだ

と改めて認識できるのではないだろうか.

この上なくすばらしいことも出来れば,

信じがたいほど恐ろしいことも出来てしまう.

どちらの人間になるかを大きく左右する決定的契機は

やはり“育ちの過程”にある.

人間は教育によって大きく左右されるのである.

だから,教育が大事なのだが,

いつ頃からか,親たちが教育を

頭を良くすること,試験の成績を良くすること,いい大学に入れること,・・・

と勘違いし始めたのである.

いや,それはそれで悪いことではないのだが,

優先順位の判断がつかなくなってしまったのが問題だと思うのである.

たとえば,子供に

感謝の心を育てることと,算数の力を付けることと

どちらが優先されるべきであろうか.

下手をすると今は,少なからぬ親たちが後者と答えるかもしれない.

実際,多くの生徒に接していて一番感じるのが,感謝の思いの無さなのである.

感謝をする心をどこからも教えてもらってきてないのである.

何かを人からもらうこと,教えてもらうことを当たり前と思っている.

ありがたいと思わないから,一つ一つを大事にせず,

結果として,それを自分の実力に転化できない自業自得に陥っている.

感謝の心を育てておけば,一つ一つを大事にするばかりでなく,

周りに対する気遣いが出来るようになる.

自分の恵まれた状況が何によってもたらされているかを

みようとしていくから,

社会全体のつながりを,空間的にも,歴史的にも見る目が育つ.

それは視野を広げる力を自分で付けていくことを意味し,

結果,本当の意味で頭のよい子が出来ていくのである.

人間にとってもっとも肝心な“心”を脇に押しのけて,

目先の利益を求めると,

結果として,その利益も得られず,

あまつさえ,今報道をにぎわしている事件のようなしっぺ返しが来ることを

ようく見つめておかなければなるまい.