電車に乗るとすぐに座ろうとする若者が目立つ.

私が学生の頃は電車で座るという発想はなかった.

なぜだろうと考えてみると,

隙あらば自分を鍛えようという志が根底にあったからだろうと思う.

京都に旅行に行ったときは,京都駅から銀閣寺まで

途中いろいろな神社・仏閣を見学しながら

全行程歩いたものである.

銀閣を目指し道を問う私に,

地元の人々は

悪いことは言わないからバスで行きなさい

と異口同音に諌めてくれたことであった.

「自分を鍛えよう」という発想のさらに根底には

人間は鍛えることによって能力が向上するという確信があった.

それは受験勉強を通しての個人的な体験から来たものである.

私が受験で得た実果は

勉強の中身自体ではなく

そうした確信を獲得したことにこそあった.

動物は努力しなくてもその動物としての能力を

本能によって発揮することができる.

しかし,人間はほうっておけば

何の能力もつかないし,

ついた能力もどんどん衰えていく.

これはとても困ったことであるが,

プラスに捉えると

とてつもない希望にもなる.

鍛えることで大変な能力を獲得していくことができるという

すばらしい能力を人間は持っているのである.

もちろんその能力を活用するのは若いほど良い.

その若い時期に

自分を鍛えようという発想を持たないことの

もったいなさを是非考えてほしいと思う.