前々回,表面的には実に一生懸命子供のために動いていながら

本質的には子供のためになっていない親の行動について触れた.

妹を殺した歯学部受験生の裁判が始まったようだが,

経済的に裕福でありながら

つまり金銭的には何不自由ない豊かさを子供に与えながら,

本質的な豊かさを与えそこなった親の実態が

「お前のような子供はいらない!」という

親が絶対子供に対して言ってはならない言葉を口に出した

という一事から浮かび上がる.

物事には現象と本質とがある.

何でも買い与えることは現象的には,つまり表面的には

子に対する親の愛情である.

しかし,それが本質的な愛情であるかどうかは別問題である.

資本主義のマイナス面は,

経済的豊かさという現象面が

本質的な貧困を覆い隠しかねない点にある.

否,覆い隠してしまうことが多いというべきか.

人間はこころが本質である.

物を与えることがこころにも通じるものであるのならば

問題ない.

高価であるか,廉価であるかが問題ではなく,

それがこころに響くかが問題なのである.

常に見つめ続けなければならないのはこころである.

見事な親,尊敬できる立派な教師は

常に子供のこころを見つめ

子供のこころを基準にものを考えている.

蓋し,当たり前のことなのだが,

資本主義のこの時代,

そうした当たり前の本質を

カネやモノという現象が覆い隠して

見えなくさせてしまうのである.