いずれ、当分不景気であるというのが、
一般の見方のようである。
不景気というのは
暗く陰鬱な気分を運んでくる。
しかし、物事には二面ある。
不景気でなければ顧みられないことが問題提起される
という前進がある。
現代がよってたつ足場が根拠を持った足場か否かを
こういう時でなければ普段照顧することはなかなかなかろう。
好景気に浮かれているときなど
今が砂上の楼閣であっても
それを問題としては一顧だにしないであろうし
たとえ誰かが声を発しても
哄笑の中に掻き消されるのが落ちである。
しかし、幸い不景気は人々の浮かれをしずめ、
やんちゃな学生気分を
内省する哲学者に変えてくれるのである。
それにしてもこころのバブルほど恐ろしいものはない。
先日、早稲田の学生が大麻で捜査官に踏み込まれる現場映像を
テレビでやっていた。
「えっ、マジかよ」「終わったよ」「退学だよ」
との学生の音声を聞きながら、
愚かさに呆れるだけでは済ませえない何かを
暗い思いとともに考えずに入られなかった。
普通、どんなにある衝動に駆られたとしても
発覚したら手が後ろに回るとなれば
恐怖が先にたってその衝動は消えるものであろう。
後先が見えぬこの学生たちの想像力のなさは
いったいどこから来るのであろうか。
社会が悪い、親の教育が悪いと言ってしまえば
それまでであるが、
受験勉強としては頭の良いはずのこの学生たちの
根本的な頭の悪さを
もう一度
「学習とは何をどうすることなのか」を考える教訓にして
根本の問題を洗い出しておかないと
笑えない悲劇が今後も繰り返されていくことであろう。