先日、大学時代のゼミの友人が夫婦で子息のことで相談に来た。

いろいろ話を聞くと子供の心を丁寧に思いやれない大人が

子供をまげてしまっている現実を改めて問題と思った。

考えて見ると、成績が伸びない生徒と

心がゆがんでいる生徒との間には

共通性がある。

想像力の貧困という時代の犠牲になっているという共通性である。

生徒を教えると、今までどのように勉強してきたかが

すぐ分かるのであるが、

最近多いのが文字・記号だけで勉強してきていて

中身を分かっていないケースである。

例えば二次方程式に判別式というものがあるが、

こういう流れの時は判別式を使う、と

ただ何となく形だけで覚えてきていて

どうして判別式を使うのか、

そのイメージが何もないのである。

判別式の像=実態が頭の中に描けてないのである。

描けていないのにそれで納得してしまっていること自体が恐ろしくもある。

教師がそれを許してきてしまっていることが最大の問題である。

これは教師をはじめ、大人が子供の頭の中を想像できていないからなのである。

生徒の心のゆがみの問題も同じである。

大人が子供の心の中を想像できていないのである。

子供たちが文字・記号だけで勉強してしまっているのと同様に、

大人たちも、子供の教育を文字・記号のレベルで行っているのである。

痛みが分かるとは「痛い」という文字を学ぶことではない。

「わが身をつねって人の痛さを知る」

これが学びの基本だったはずである。

能う限り生(なま)の事実に近づいて学ぶことが本当の学びであり、

それを可能にするのが人間の持つ“想像力”という能力なのである。