小学校時代の懐かしい思い出に

学校にランドセルを忘れて家に帰ってきたというものがある。

「ただいま!」と元気よく家に入ると

近所のおばさんとお茶を飲んでいた母が

私の身軽な様子を見て

「あれ、あんたランドセルは?」

言われて初めて気がついて、

みんなで呆れて大笑い。

早速学校に戻る道々、

当然下校途中の友達みんなと会う。

ひとり逆方向に向かう私にみんながその都度

「あれ、洋ちゃんどうしたの?」

「いや、ランドセル忘れちゃってさあ・・・」

「えー!?」

サザエさんのカツオ君並みの間抜けさである。

実は私の記憶では小学校時代それが3回あった。

要は帰って家で勉強するという発想が

小学校時代は全くなかったのである。

中学入試など仙台にはないから、

高校入試が入学試験なるもののはじめての経験である。

旺文社から出ている「全国高校入試問題」を買ってきて

見てみると驚いた。

そこには、灘高や開成高校や筑波大附属駒場(当時は教育大附属駒場)の

入試問題が掲載されているのであるが、全然分からない。

なんて難しいのだろう。

たいへんなショックを受けた記憶がある。

しかし、のちに大学入試のための模試では私は全国で16番であったから

私は自分のルートでよかったのだと思う。

アタマの出来が良かったのではないかと

お思いになる向きもおられるかと思うが

私の時代は知能検査(いわゆるIQ検査)なるものがあって

友人が先生に褒められているのを忸怩たる思いで聞いたことはあっても

残念ながら私が褒められたこと、良いとほのめかされたことは

一度もない。

自分でも今ひとつ出来がよくない思い出だけがあるのである。

何が良かったかと考えれば

ランドセルを忘れたことではないかと思う。

それほど、外で遊びまわった。

自然と徹底して戯れ、友達ととことん付き合い、

そうして育んだ感情の豊かさでは人後に落ちないとの自負がある。

実はこれは学問の絶対的土台であると思う。

私が週一回お会いする物理の山本義隆先生(元東大全共闘議長)が

「僕らが子供の頃は夕日が落ちるまで外で遊んどったけどなあ・・・。

今の子供たちは可哀想やねえ。」といつか話されていた。

実はそこに学力を付ける本当のヒントがあるのではないのだろうか。

世間で(都会でと言うべきか)常識化した受験の「正論」

早くから紙と鉛筆を使い、

文字と記号をもてあそぶ「学習法」を

そろそろ疑って見る良い時期に来ているのではないだろうか。