一所懸命英語学校に通っている生徒がいる。

TOEICの点数を上げたいとのこと。

夏休みは、朝から晩まで英語のリーディング、リスニング、

ライティング、スピーキングだそうだ。

何週間も続くらしい。

傍で見ていて気の毒になる。

アメリカに生まれればよかったのに・・・と。

外国語習得は若い時代が絶好のチャンスである。

しかし、若い時代の時間の多くを

そこまで外国語習得にささげてしまってよいものだろうか?

しかも、TOEICなるテストはいかにもアメリカ的である。

次から次と新しいものを読みまくっていくような

とにかく、量、量、量・・・なのである。

そこにはひとつの作品をじっくり味わって読む

などという発想はひとかけらもない。

とにかく、速く読めて、速く答えを出すと評価される。

そういうアメリカ的競争で超エリートであった

ルービンやサマーズやヘッジファンドのディーラーたち、

金融工学なるものを作り出した

NASAから流れたきた人々・・・

このアメリカ的なるものが

今回の金融バブルとその崩壊を生み出したということを

もう少しゆっくり考えるべきではないのだろうか?

日本はこのアメリカ的なるものにどんどん汚染されつつある。

日本の歴史は外国の良き物を

貪欲に学んで発展してきた歴史であったが、

今のあり方は

いいようにアメリカを押し付けられているとしか思われない。

外国のよきものを学ぶのとは少し違うと思うのである。

日本の有名大学がAO入試でTOEICの高得点を要求し、

そのために先の高校生は一所懸命英語付けである。

大人がアメリカ的をよしとしてしているのである。

はたしてそうなのだろうか?

−続く−