メールのやり取りは難しい。

終わり方が難しいという話をよく耳にする。

「では明日2時にね」と来たら、

それで終わりでよいか。

「了解!」と返すべきか?

といった難しさ(?)のことである。

相手が友人、目上の人、初めての人等々で

対応も違うわけだが、

礼儀上の感覚は人によって違うのでそれはさておいても、

実際の生活上支障をきたしかねないレベルのやり取りにおいても

かなり淡白な人がいる。

これをして欲しいという依頼のメールに対して

返事が無いから、

もしかしてメールが届いていないのかと心配していると

あとで会うや、「依頼の件、やっときました」と涼しい顔。

かたや、依頼のメールには必ず「了解しました。」との返信を欠かさない人もいる。

後者が普通だと思うが、前者の人間というのは

どういう感覚で社会生活を送っているのだろうか?

私が敬愛する吉川義塾の吉川先生とその話になった。

結局前者のような人は相手の気持ちが分からないんだろうね

という意見で一致したのだが、

相手の心に対する想像力のなさというのは

さまざまな問題に関係しているはずである。

いじめの問題もそうであるし、マナーの悪さの問題もそうである。

大麻でつかまる若者たちは

自分の将来に対する想像力も含めて

二重三重にあきれるほどの想像力欠如である。

学力は想像力が基本であり

想像力が無ければ国語や英語の読解で

筆者の意図がつかめないであろうし、

他の科目でも出題者の意図が読めないであろう。

学力の低下は想像力の欠如と直結している。

想像力を身につけるのは紙の上の勉強ではない。

しっかりとした社会関係を持つことであり、

子供をしっかりとした社会関係の中で育てることが

学力の高い子供にする何よりの基本なのである。