今、新入会希望の方との面談が始まっていて
外部のいろいろな人と話が出来る機会がありなかなか楽しい。
ただ、時として残念な意味での新発見もある。
学力というものを分かっていない場合
何か自分に不足するものを
欠けた部分に積み木をはめ込んでいくように埋めていけば
学力が完成されていくと考えている人がいるのである。
裕福なご家庭の親御さんなどは
国語が苦手だから授業料は別途お支払いしますから
国語の個人指導の時間を増やしてくださいなどとおっしゃる。
言葉を知らないから慣用句をまとめた本を買って
覚えていっているという。
う・・・・ん、違うんですよ・・・。
あるいは
誰もが東大理?に挑戦できると思っていたり、
目標は理?と高く掲げて頑張りたいので、
まわりに同じような目標を持つ人々がたくさんいる環境がほしい
と目を輝かす。
う・・・・ん。
学力をつけるに当たって何がより本質的なことなのかが見えていない。
自分の志がまわりに左右されてしまうという、己の志の不確かさを
自ら語っていることに気づいていない。
理?に入った児玉君にしても、信州の医学部に入った高橋さんにしても、
筑波の医学部に入った村松君にしても、慶応大学塾長賞を取った関根君にしても、・・・・
すごい伸び方をした人は、本質的なことを話してやるとそれにパッと反応して
その他の瑣末なことには興味を示さなかったものである。
現在の成績は低くてもバランスの良い感性を持っていることが
受験の前提であると改めて思ったことである。