知能というのは年齢との相関はあまりない。

むしろ逆相関があるといってもよいかもしれない。

いわゆる「パズル」のような問題を

すいすい解いてみせるのは

低年齢の若い頭である。

確かに学力も

こうした知能の高低が

そのひとつの要素として関わりを持つが

知能が学力の決定要素ではない。

学力は大人になるにしたがって豊かになる側面がある。

物事を立体的に見ることができる実力であったり、

いわゆる視野の広さであったり

不用意に思い込みに走らない慎重さであったり

そうしたものが

学力の優劣に関わってくるものである。

学力が性格と密接に関係しているとの主張があるのは

そのためである。

仕事柄、いろいろな生徒を見ていると

学力の低い生徒に共通のものが見えてくる。

それは幼稚であるということ、

本質的な意味で子供だという点である。

言葉遣いがいかに大人びていていようと

(学力が目だって低い生徒にかぎって、言葉遣いがやたら大人びているのは興味深い現象である)

行動パターンが子供なのである。

要は自分しか見えていない、

まわりが見えていないのである。

子供であり、視野が狭く、周りが見えないために

さきへさきへと行動していくことができない。

学力の養成は

何も机に向かってしかできないという代物ではない。

日常生活において

広く全体の状況を読むこと

さきへさきへと手を打っていくこと

周りの状況を把握しながら自分の行動をとること

そうした普段の日常的な実践も

学力の向上につながるものなのである。