視覚障害者が駅で事故に巻き込まれることが多く、
各駅にホームドアを設置すべきとの意見が高まっているという。
しかし、それが解決法だというのであれば、
全国すべての駅にホームドアを設置しなければ不公平であろう。
そんなことができるのであろうか?
何か問題が起こるとすぐにそうしたハードの建設に向かうこと自体
何か違うのではないかという気がする。
駅にいて思うのは
視覚障害者が歩いている時の健常者のあり方である。
誰も障害者に注意を向けようとしない。
このまま歩いていってどこかにぶつかりはしないか、
目的地にいけるだろうか、という気遣いをもって
障害者を見ている人が少ないのである。
事故の原因はハードの問題ではなく
人々の心の温かさがなくなっていることにこそ
あるのではないのだろうか。
障害者を見守る目があれば事故は防げたはずである。
駅の設備を拡充するより
人々の心を豊かにする方が事故を減らすはずである。
要は人間として最も大事なことを問題にせず
何か物質的な解決を図ろうとすることが
結局はまた次の問題を生み出し、
またそれに同じような心を欠いた対処療法を施そうとする
悪循環を繰り返しているのである。
どこかでこうした不毛な愚かさに
歯止めをかける契機が生まれないものか。
チュニジアで始まった政府打倒の庶民の連帯の高揚が
ここ日本では
人間性=人情回復の運動として盛り上がらないものだろうか。
一人夢想するところである。