少し間が開いてしまった。
2,3日前の新聞に
国家を率いる指導者を育てる教育が今の日本にはない
という記事が出ていた。
その参考にフランスの例が挙げられていたのは
必ずしも同意できないが
言わんとすることには賛同できる。
簡単には広い教養=哲学と
人間としての胆力をもった人間を育てる場が必要だ
ということである。
それは何も外国に範を求める必要もないであろう。
もう一度日本の教育の歴史と伝統を調べなおせば
自然に答えが得られるに違いない。
表面的風潮に乗って
知識偏重の教育を優先した結果が
現在の原子力行政の破綻として現れていることを
われわれは日々見せつけられているところである。
教育とは“人物”をつくることである。
“人物”にはもちろん学力も入ってくるであろう。
しかし、学力は必要条件であって十分条件ではない。
さらに、学力にも
知識偏重の平板な学力もあれば
「学力とは何か」をふまえた本当の学力もある。
そこから高々受験であっても
どういう受験勉強をすべきかが決まってくるのである。
今回の国難ともいうべき災害が
社会としての本質的な問題を提起してくれていることを
重く受け止めなければ
無念のままにこの世を去った多くの犠牲者に
申し訳が立たないであろう。