再び私事で恐縮であるが

先の震災で

32歳の若さで妻子を残し他界した義理の甥の本葬があり

あわただしくはあったが

郷里の仙台を日帰りで往復してきた。

死亡は震災当日であったが、

遺体が瓦礫の下から見つかったのは約一ヵ月後である。

その後今日まで1ヵ月半も泣き続けたであろう

憔悴しきった母親は

告別式の後遺影を渡されて再びうずくまるようにしてむせび泣く。

その姿はあまりにも残酷であった。

人間には情があり、そして情が深ければ深いほどに

それは残酷である。

おなかを痛め、生み育てた母親だけが知る記憶と歴史が詰まった

深い情があるに違いない。

一方で甥の兄と弟の二人は

兄弟を失った自分たちの悲しみを内にしまい込み

突然夫を失った想像を絶する悲しみにもだえ苦しむ私の姪を気遣い

葬儀の段取りはもとより

姪の今後の生計のためのありとあらゆる手続きを手分けして進め

夜中に余震が来ると真っ先に駆けつける。

その気遣いの細やかさとたくましい行動力の数々を

ここに書き切れないのが残念なほどである。

私ははからずも人間のつながりの純な姿を

改めて彼らに教えられたように思っている。

今回彼らにやっと直に会って叔父として礼を言うことができたが

彼らには生きるたくましさが

すがすがしさとともにあるのだ。

彼らは机の上では、紙の上では学べないものを

しっかり学んできているのである。

それは「社会」である。

人間のつながりである社会を肌で体験し学んできているのである。

人間が社会のつながりの中でしか生きられないことを

感情として学べる場が今日本にはなくなりつつある。

特に都会ほどそうである。

小学校から塾通いで

社会を肌で学んでいない受験エリートが

政界、産業界、学界、官界を占めたとき

どういうおそろしい現実がやってくるか

今私たちは日々目の当たりにしているのではないだろうか。