何度か書いてきたことであるが、
最近の入試英語はとにかく長い。
どういう内容で長いのかと言えば、
ビデオゲームが若者にどういう影響を与えるかという研究の紹介と論評、
アメリカの銃社会はどうあるべきか、
アメリカではなぜチップが習慣化しているのか、
などなどである。
一見悪くはない内容にも思える。
しかし、実は若者がこういう内容の英語の長文を読んで
何をえるのであろうか。
昔の入試英語の内容はそうではなかった。
それは教養とは何か、
学問に必要な人間性とは何か、
人間の歴史の特質とは何か、
過去を考えることと未来を考えることの違いは何か、
・・・・
というものだったのである。
つまり、英語を通して人間とは何かを学んだのであり、
どう生きるべきか、
何を志すべきかを若き魂に問い、
若者は英語を通して
そういう次元の問題と格闘し、
思考を熟成させたのである。
それがその後の人生の大きなばねとなり
社会全体にとっての財産となったのである。
単に英語の知識が増えること以上に
そこで養われた力=知性こそが飛躍の原動力になったのである。
現在日本の教育行政に関わる人々には
その意味が分かっていない。
知性とは何か、文化の香りとは何か
それを知らずして学制の改革を行なおうものなら
文字通り国家の危機であろう。