客船事故、女子高生大量誘拐事件・・・
さまざまな事件報道に触れ、その内実が詳らかになるにつれ、
それが一個人の犯罪ではなく
その社会全体の精神構造の問題であるとするならば
社会が持つ歴史や伝統、大きくは文化というものの大事性を
改めてかみしめなければならないと思う。
日本であればこうはならなかっただろうという思いが
多くの日本人にはあるが
それはなぜか、何ものかと言えば
ご先祖たちが営々とつくりあげてきた文化に違いあるまい。
人命に対する意識、
自分より他を優先する侠気、
そうした社会の精神は
長い歴史と伝統を内に含んだその社会の文化である。
しかし、先祖たちが大きな犠牲を払って築き上げてきた文化は
今の世代が努力してつながなければ維持できない。
下手をするとあっという間に消え去ってしまうであろう。
教師が担当クラスの入学式よりわが子の入学式を優先し、
それに対する共感が少なくなかったという先日のニュースは
その兆候を感じさせるに充分背筋を凍らせるものであった。
努力をしないと大切なものは保持できないのである。
私たちが学校教育において
歴史を学び、古典に親しむべき理由のひとつがそこにある。
そして
何よりも、社会の精神・文化をたっぷりとたたえているのが
母語(自国語および自地域語)そのものである。
英語の早期教育も結構であるが
国語(特に方言を含めて)の学びを軽視すれば
日本もまた「明日は我が身」となることを
心すべきであろう。