慶応大学に今年進学した卒業生に

「どうしてGHSを知ったの?」と聞くと

「母がネットで探してここがいいと連れて来られました」との答え。

お母さんはネットで塾予備校を探すのが趣味で

子供が大学生になった今も

「夜な夜なネットで予備校を見て歩いてます」と笑う。

実に便利な時代である。

しかし一方で、我々現代人がこの文明の利器に振り回される生活になっているのも事実であろう。

スマホやタブレットとしてネットが体の一部になり

たえずつきまとわれている。

ドイツでは

企業が社員に携帯を持たずに休みを取るように指示しているという。

また、必要最低限の道具だけで生活をしていく若者を描いた

フィンランドの映画が話題になっているという。

そういう揺り戻しも起こるだろうが

大きな流れは変えられそうもない。

とすれば我々は

情報の真贋を見抜く眼力を養わなければならないだろう。

独善的な中傷や揶揄に心を乱されない鈍感力が必要になろう。

端末に振り回されない忍耐力を養成しなければならないだろう。

現代人はたいへんである。

しかし人間は

テレビという利器に対して

かつては「テレビっ子」という流行語が生まれ、それに振り回された時期もあったものの、

それを何とか乗り切ってきたように

今回の利器もうまく乗りこなすであろう。

人間はヘマをしながら、学習し、進歩していく。

ただ、

さまざまな事件の報道に触れるたびに

乗りこなすまでの犠牲と弊害が

できるだけ少なくあってほしいと祈るばかりである。