文科省が国立大学に
実効性のある学部や研究に資源を集約するようにと
通達を出した旨、報道されている。
その流れから、教養課程や文系学部が縮小するのではないかと
懸念されている。
指導者に哲学や広い見識がないと社会が先細っていくことは
歴史が証明しているが
それを地で行くような政策である。
日本が伝統的に育んできた知性の厚みが
先端技術にも大きく貢献してきたその知性の体系を
政治家や官僚は理解していないのである。
何でも直接実績を出すものだけをやっていればよいというものではない。
それを下支えする深い教養があるからこそ
先端の直接的な実績も実現するのである。
ヨーロッパはそれを理解しているから、
哲学もあれば「教養人」という概念もある。
日本はアメリカを模倣し、追従するばかりである。
この国の指導者は
哲学もなければ教養人もいない社会にしようとしているのであろうか。
その方がよほど国家の安全保障が危うくなろうというものである。