一昨年亡くなった母の三回忌があり
仙台に帰省してきた。
田舎の人間は人と人の間のコミュニケーションが
まだまだソフトであり、豊かである。
地下鉄のエレベーターに
ベビーカーに赤ちゃんを乗せた母親と60代の年配の男性、
そして私と90歳の父とが乗り合わせた。
その男性が母親に何か月ですか?と自然に話しかける。
その子を中心にエレベーターで会話が起こる。
タクシーに乗れば、運転手はソフトであり、会話が弾む。
タクシーを降りた後
私は父と用事を済ませて20分ぐらいでまたタクシーを呼びたかったのだが
その旨を話すと、
「じゃあ、ここで待ってますよ。どうせこのまま駅に戻ってもしばらく待つだけだから。」と
待っていてくれる。
もちろん待ち料金はない。
東京ではまわりに目もくれず、自分のことでいっぱいの人間が
集まっている。
久々に帰省して、やはり田舎はいいなと心が和む心地であった。
東京にももう少し自然なコミュニケーションがあったならば
先日の新幹線の事件のようなことは防げたのではないか。
みんなが健全な社会としての意思疎通を持っているならば
挙動不審な人間はすぐにわかるはずである。
電車に乗れば8割がスマホとにらめっこの現代社会である。
先の事件は、周りが見えず、
自分だけの世界に入りこんでいる現代の都会の死角でこそ起こった
典型的な事件であるように思えてならない。
新幹線の警備をどうするかという問題ではなく
東京の人間のコミュニケーションをどう自然に戻すかの
国民的議論こそ、湧き上がってほしいものである。