幼稚園の運動会で手をつないで横並びにゴールさせるという世相が話題になった。
さて今でもやっているのだろうか?
何か大人が「やさしさ」を勘違いしている典型である。
負けること、悔しいと思わせることを
「かわいそうだ」と解釈するのか
「これから生きていくたくましさを養うのに必要だ」と理解するかの違いである。
前者だとすればそれは本当のやさしさではなかろう。
結局その後の長い人生に大きな苦労を背負わせることになるからである。
人間は競争によって現実を知ることができる。
一流のスポーツ選手が若いにもかかわらず
人を感心させるものの見方をできるのは
競争によって現実と向き合い、それを克服する道を歩んできているからである。
受験という競争も
若者が現実を知る良い機会である。
簡単に「東大志望」を語る。
「医学部に入りたい」と言う。
あまりに現実を知らずに語るケースが多い。
しかし、語ることはよいのである。
語った方がよいのである。
そこからやっと現実を知り始めることになるからであり、
自分を鍛えざるを得ない道を歩みはじめることになるからである。
文科省が「生きる力」を教育の目標に挙げているが、
ことさらにそのためのカリキュラムなど必要ないであろう。
競争させればよいのである。
熾烈な競争の環境をつくればよいのである。
手をつないでゴールするのをニコニコ見ていながら
「生きる力」を付けよう!では、その矛盾に苦笑するほかない。
これから大学を目指す若者は
受験の競争の荒波に積極的に挑んでほしい。
何度も何度もはじかれるであろう。
叩きのめされるかもしれない。
しかし、良いのである。
苦労すればするほど
「生きる力」がついていくことは間違いないのであるから。
もちろんその暁には目標達成のゴールテープを切らなければならない。
そのための予備校探しもまた「生きる力」である。