先日とても素晴らしいテレビ番組をやっていた。
チャンネルを変えて気付いたのが、終わりかけのところで
「もっと早くに気づいていれば・・・」と残念至極であった。
場面はどこかの中学校の教室である。
今年で定年という担任の教師がクラスの生徒たちに語り掛けている。
生徒におもねるでもなければ、高飛車でもないが、
「お前たちは・・・」と語り掛けている。
「私は37年間教師をやってきたが、お前たちはよい点と悪い点の二つの点で一番だ。」
「どっちから行く?」「悪い方からか」
「お前たちは37年間教えてきた中で一番成績が悪い!」
「しかし、お前たちは37年間教えてきた中で一番性格が良い。」
「障害を持った○○が転校してきたとき、母親は子供がいじめられるのではないかと私に不安を語った。 私はお母さんに言ったのだ。『そんなことは私がさせません。それをさせるようであれば私の教師としての存在価値がありませんから。』と
しかし、私は何もする必要がなかった。お前たちはごく自然に○○を受け入れたからだ。・・・」
私はこの場面を見ながら、「これが“学校”だなあ。」と感慨に浸ったことである。
ここにはいろいろな心が詰まっている。
強面の教師はあくまで先生として上から下へ語っている。
しかし、その語り掛けにはあふれむばかりの生徒への愛情が詰まっていて、
生徒は誰よりもそれを感じ、教室が同じ心で満たされた一つの社会を創り出している。
生徒一人ひとり全員が、自分が信頼されていること、
信頼される人間であることを感じたはずである。
これが一番大事なのだ
教科書もなければ、取り立てた「道徳」の時間でもないが、
これが学校であり、教室である。
学校というのは勉強だけを教えるところではない。
人間を教え、社会を教えるところである。
それは、結局人間の心を教えることであろう。
この先生はそれをよくわかっているのだ。
生徒の心に何を植え付けるべきなのかをわかっているのだ。
こういう先生に教わった生徒は幸せである。
今こういう先生はまだまだたくさんいるのだろうか?
それとも少なくなっているのだろうか?
時として悪い情報を耳にするだに、気がかりである。
今軽い気持ちで安易に儲け話の誘いに乗り
大変な事態に巻き込まれてしまう若者のニュースが報道されている。
おそらくそういうことに心のどこかでブレーキを掛けられるのは
こういうちゃんとした大人たちの教えが子供の心の奥底に何かを植え付けることによってではないだろうか。