日本の教育は理系科目重視にどんどん偏ってきている。
時代としても
ITを使いこなせることが
就職においても、日常生活においても
ますます重要になっていく流れにある。
各国ともこぞってIT技術者の養成に力を入れ
高度なIT技術者が有名大企業に好待遇で迎えられる。
文科省も数年前、文系の学部や学科を縮小するように大学に通達を出して話題になった。
時代の要請で教育の重点が変化するのは必要なことである。
しかし問題はバランスである。
人間が生きていくということは
体力(健康)、社会性、感性、徳性、知力の総合力なのだから
そのすべてを軽視することなく
ただ何かに特に力を入れるということでなければならない。
教育はそのすべてを家庭生活と学校生活と地域社会での生活を通して育んでいくものでなければならない。
なぜそんな当たり前のことを言うのかというと
最近の事件を見ているとそれがなされていないことの表われではないかと思えるものが多いからである。
安易に闇バイトに応じる。
「金になる」ということ以外目が見えなくなるのである。
その後どうなるのかということを考えられない。
高齢者や弱いものをだますということに対して心の痛みが創られていない。
今回の栃木の事件もそうである。
数百万とか一千万円の報酬を得たようである。
しかしその後どうなるのか、
それが考えられないほど愚かに育ってしまっているということである。
これは彼ら個人の問題とだけ安易に考えるべきではないのではないか。
日本社会全体の問題の反映であることを問題にすべきではないのかと思う。