まだまだ暑い日が続くものの
受験生にとっては夏が終わり、さまざまな現実が見えてくる時期に入った。
当然にこれまで国公立大学を目指して頑張ってきたが
ここに来て私大に的を絞り、
英語・数学・理科二科目の4科目中心に学習していく方針へと転換する生徒が出てくる。
これは毎年の事であり、何の問題もない。

一つ誤解すべきでないのは
では4月から4科目に絞って学習した方が効果的だったのではないか、
これまで現代文・古文・漢文・社会を学習してきた時間を棒に振ることになるのではないか、
と考えがちであるが、決してそうではない、
という点である。
これは個人差があって一概に言えるものでは当然ないが
大雑把に言って
最初から科目を絞って学習してきた生徒より、
文系理系科目を広く学習してきた国公立大学受験型の生徒の方が概して成績がよい。
要は優秀で、学力が高いと言える。
もともとそれだけのキャパシティを持っているからという
身も蓋もない見方もあり得ようが
しかし、一番大きく、重要な要素に「イメージ力の育まれ方」という問題があるように思う。

理系科目、特に数学は数式を見たときにそこに必要な豊かなイメージを描く必要があるが、
それなしに解いてしまえることも多い。
ただマニュアル通りに式を変形し、記号を操作するだけの作業をして答えを出す。
そこからそのような「学習」を学習と勘違いしてどんどん量だけこなした結果
数学の成績が中途で伸び悩む、どうしてもそれ以上伸びない、
ということが出てくる。
しかし本当に数学が得意な生徒は、
それぞれの場面で必要かつ豊かなイメージを描いているものである。
数学はややもするとイメージを描かないでも済んでしまう恨みがあるが、
文系科目、特に国語系は否応なしにイメージを描かされる。
「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった。」
これは感情を伴った豊かなイメージを描かざるを得ないであろう。
ただし、実を言うと
こういう文章を目の当たりにしても貧困なイメージしか描けない人々もいて
そのことが全体的な成績・学力の違いに大いにかかわっていくのであるが・・・。
受験勉強というのは直接には文字や記号で学習するのだが、
文字や記号が表しているもの=中身を考えるの学習であるはずが、
なぜか文字や記号だけを憶えたり、
それを変形させることが学習だという勘違いが起こっていく。
それは理系科目や母国語ではない英語の学習で起こりがちである。

母国語の文章は否応なしにイメージを描かせてくれる。
知らず知らずのうちにイメージを描く訓練をしてくれる。
概して読書歴が豊かな生徒は知性が高い。
それはイメージ力があって、そこでいろいろとものを考えてきた歴史を持っているからである。
国語系は得意でも数学が苦手という生徒も
数学でのイメージの仕方を教えてあげると
そもそもイメージを描く習慣ができているから見違えるように伸びていく。

物事はそれだけやればというものではないところが面白いのだ。
いろいろなことが伏線としてつながり合っている。
受験科目だけ学習すれば効率よく成績を上げられる、という単純な問題では決してないのである。

ちょうど昨日、
今春秋田大学医学部に進学した(成績開示では合格者の上位半分に位置しての合格である)K君が
丁寧な合格体験記を書いて持ってきてくれた。
そこにはイメージを描くことの大切さが説かれてあり、
国語を熱心に学習した効果や
苦手だった数学をイメージ力の養成とともに克服していった軌跡が書かれている。
来年度の募集期には資料請求者にお送りすることになる。
是非参考にしてほしい。
学力は総合力であることを改めて感じていただけると思う。