よく話題に上るが
電車に乗っていると9割以上、ときにほぼ全員が
スマホに夢中である。
今や電車で活字(書物)を見ているのは受験生くらいではないか・・・
(少しオーバーな言い方であるが)
歩きスマホもかなり多い。
不思議なのは歩きスマホは評判悪いが、歩き読書は微笑ましい。
今しがたも歩きスマホの人が道路のやや中央寄りを歩いていて
後ろから来ている車に気づかない。
今は車もクラクションを鳴らさず
車に気づいてくれることを期待しながら後ろをノロノロついていく。
そういうシーンが今は少なからずあり、
「迷惑な話だ!」と、おそらく身に覚えがある人でさえも思っているのだ。
しかし、子供や若い学生が本に夢中になって後ろの車に気づかないというシーンは
見ていて悪い気にはならないし、
「後ろから車来ているよ」と声をかけてあげようという気にもなるだろう。
これは何の違いか。
歩きスマホはその目的が
ただその人が、悪く言えば娯楽的に夢中になっているのだと考える。
しかし“ながら読書”はそこに何か健全な向上心というものを感じるのではないか。
応援しようという心理が動くのではなかろうか。
スポーツが人気があり、健全なものという無意識が働くのは
それが向上心の表われであり、向上心の結実であるからではないだろうか。
ある卒業生の兄が今Jリーグの現役で活躍しているのだが、
妹曰く、その努力には本当に頭が下がる、と。
通常の人間であれば、一所懸命努力している姿に感銘を受ける。
一部例外はあるだろうが
どうもながらスマホはその対極にある。
時として周りの迷惑になるだけに余計に健全さを感じさせない。
若者であれ、年配者であれ、
向上心を失った社会は没落するしかないことは歴史が証明している。
ながらスマホの最大の問題は
社会全体に“まったり感”、向上心の欠如の雰囲気を創り出していることではないかと私は考えている。
20年前まではありえなかった電車の中の雰囲気、
さて20年後にはどうなっているであろうか。
そのとき日本社会自体がどうなっているであろうか。
没落していなければよいが・・・。