今年度もスタートして1か月が過ぎ
新たな生徒たちが今年のGHSを創り出している。
GHSは選抜試験を行っていないこともあって
実に様々な生徒が集まってくる。
それは学力という点でもそうであるが、
性格を含めた、いわば〝人物〟という点でもそうである。
GHSに来る生徒に〝悪い〟人物はいない。
そういう意味での「人物」としては
みな〝愛すべき人物〟たちである。
それは一人一人丁寧に面談をして入会を許可するからである。
問題は学力との関係である。
これはなかなか複雑である。
人物の〝良さ〟とは別に、その人間の中身が受験の学力と強く結びついている。
受験の成績が単純に学習時間に比例するならこんな楽なことはない。
分かりやすいと評判の問題集や参考書をやりさえすれば学力が付くならば
こんな苦労をしないで済むだろう。
難しい大学を目指すほどにそういう意味での〝人物=人間の中身〟が影響する。
ケアレスミスをしやすい。
ではしないように心がければよいではないか。
だがそう簡単ではない。
奥深くの〝人物〟が足を引っ張っている。
文章を主観的に解釈してしまう。
では冷静に客観的に読解すればよいではないか。
そう簡単には行かないのである。
二十年間積み上げてきた〝人物〟の問題なのである。
二十年間の育ちはそんなに甘いものではない。
昔は受験という分野、方向性において
有利に二十年を育ってきた者たちが大学を目指したが、
今は誰もが難関大学を目指して受験の世界に参入してくる時代である。
それだけに我々受験指導者も
ただ各科目の内容だけを授業していればよいという時代ではなくなった。
生徒の〝人物〟自体を変える受験指導をしなければならない時代なのである。
人物にかかわる〝思考の根本〟を変える指導ができるかどうか、
それが今後の予備校の価値を決めていくことになる。
残念ながら、世間はまだそのことを理解していない。
そこに我々の苦労もあるのだが、
しかし、逃げるわけにもいくまい。
GHSはすでにそのレベルの指導の次元に進みつつある。
何しろ
大学を目指して純真な目を持った
〝愛すべき人物〟たちが集ってくるのだから。