電車に乗っていても、
道を歩いていても、
とにかくみんながスマホに夢中である。
急ぎの連絡に対応している場合もあるだろう。
しかし、必ずしも今、ここででなくてもよいケースの方が多い。
皆、活字や映像を見ていないと落ち着かないのだろうか。
ふと特にやることがない時間ができると
何かの情報を得ようとする。
人の流れや、遠くの景色をしばし眺めるということができないのだ。
時間がもったいないということなのか、
習慣になってしまったということなのか・・・。

いずれにせよ一つ問題なのは
公共の場という意識の希薄さである。
公共の場であるにもかかわらず、
自分の事しか見ていない、見えていない怖さである。
先日も
道を歩いていると、
マンションの入り口からいきなり30歳くらいの女性が
スマホで会話をしながら溌溂と飛び出してきた。
道路を誰かが歩いてくるという意識が一切なく、
左右も見ず突然飛び出してくる。
私からすると歩いていたら突然目の前に人が現れて
危うくその人の踵(かかと)を踏みそうになった。
もし自転車が走ってきていたとしたらどうなっただろう。

ある路地で自転車同士がぶつかって一人は血だらけになったという。
けがをした若い女性はスマホを見ながらT字路の交差点に進入したらしい。
ぶつかった相手はそのまま逃げ去ったとのこと。
気の毒ではあるがなぜそうなることぐらい予測できなかったのか。
その方にこそ忸怩たる思いである。

みんなが周りを見ずに勝手に動いている。
ぶつかりそうになればよける。
自分もよけるし、だから相手もよけてくれることを前提に動く。
確かにそれほどトラブルは起こっていない。
だが、いいのだろうか。
相手がよけてくれるという甘えに依存すると
あるとき、先の自転車事故のような大事故が起こる。

渋谷のスクランブル交差点は
皆が周りを見、向かってくる人を見ているから
ぶつからずにスムーズに流れる。
それが通常ではないだろうか、健全なのではないだろうか。
相手に依存した行動が当たり前の社会は
いずれ何か大きな問題が生まれるに違いないと
私は危惧している。