私の家の近くに昔ながらの果物屋がある。
70代後半の気のいい店主で
地元生まれ、地元育ちで
つい先年まで
町内の祭りの段取りを、神輿の出し入れをも含めて
「青年団」の一員として長年やってきた人である。
車がすれ違うのがやっとの狭い通りはかつては商店街だったようだが
今は周りにマンションもいくつかできて
残り数少ない昔ながらの「個人商店」である。
行きかう人は新しく越してきた人や外国人も多いのだが
仕事帰りに立ち寄って安い果物を気軽に買っていく人々に
気安く世間話や果物の役立つ知識を語って愛想がよい。
先日出がけに店の前を通ると一人の客がみかんを手に店の奥に声を掛けている。
店主はバイクで配達にでも出かけているようで誰もいないのだ。
それでも店は果物が道にせり出すように広げられ
誰でも盗めるような不用心さである。
私が困っているその客に
「その辺にお金を置いておけばみかん持って行って大丈夫ですよ。」と声を掛けると
「え!いいんですか?!」と不安そうである。
「大丈夫ですよ。そこのテーブルの上でいいですよ。」
と、まるで店の者かのように気安く言う私にキョトンとしている。
私が帰りがけに店の前を通ると店主が戻っていた。
「さっき、お客さんがみかんを買いたくて困ってたから、
お金を置いていけば大丈夫だよ、と言っておきました。」
「うん、あった、あった。ありがとね。」
何か、昭和の香りのするやり取りであった。
世は資本主義もピークを越えて
株のバブル的高値に盛り上がり
仮想通貨で一財産築こうとやっきになり・・・
と世知辛いが、
そろそろこういう人情味のある牧歌的な社会のあり方に戻ってもよいのではないか。
佐賀関の悲惨な大火がほとんど死者を出さなかったのも
そうした人間同士のつながりのなせる業であったと報道されている。
こうした価値、値段のつかない価値を見直すことも大事なのではないか。
