これまで「オリオン」の話をしてきたのだが、
それをきっかけに、昔と今で受験勉強の内容がどう変わったのかということにかかわって
思うことがあった。
たとえば、英語で言えばその中身と方向性が大きく変わった。
文科省が「聞く、話す」を重視しているように
今はいわば実用英語である。
だから共通テストにしても私大の英語にしても
とにかく長い。
リスニングの比重も大きい。
これはこれで時代の要請でもあり、必要なのだと思う。
我々の受験時代は「読む」が主であった。
だからよく言われたように
日本では6年間も英語の勉強をしているのに
英会話一つできない、と。
確かにその通りである。
方針が変わった結果、扱う英語の中身・性質も変わった。
会話用、速読用ということになれば
英語の内容は軽いものにならざるを得ない。
薄い内容で、膨大な量の英文を高速処理していく能力の養成となる。
私に言わせれば、それはコンピュータにお願いする作業で
人間の知性とは異なる。
昔の英文は短かった。
それだけに一文でしばし考え込むということが多々あった。
今見返してみると、バートランド・ラッセルなどの英文が素材だったのである。
つまり、英語を通して、歴史上の最上位の知性と格闘する作業をしていたのである。
それは、文化とは、社会とは、歴史とは、生きるとは・・・という内容であるから
その過程で、外国語というものを知る以上に
そうした内容・筆者の知見と洞察への志向と学習が自然に養成されていった。
世の中の様子を見ていて
あるいは日々身の回りに起きていることと接していて
最近そのことの意味がじわりじわりと感じられるのである。
次回そのことを書こうと思う。